7月8日に発生した安倍晋三元首相の銃撃事件を受け、安倍政権を批判してきた勢力に、事件の責任があるかのような批判が出て来ている。
評論家の八幡和郎氏は、言論プラットフォーム『アゴラ』に《安倍狙撃事件の犯人は反アベ無罪を煽った空気だ》という記事を寄稿。《狙撃事件の犯人がいかなる人物かはあまり重要でない》とした上で、《安倍晋三氏については、特定のマスコミや有識者といわれる人々が、テロ教唆と言われても仕方ないような言動、報道を繰り返し、暗殺されても仕方ないという空気をつくりだしたことが事件を引き起こした》と指摘した。
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フジテレビ上席解説委員の平井文夫氏も、《安倍晋三さんを死なせたのは誰だ》という論説を執筆。八幡氏の論考を引用したうえで、
《「闘う政治家」だった安倍氏に対しては攻撃もまた激しかったが、中には「許さない」とか「死ね」とか明らかに常軌を逸したものもあった。そしてそうした言動に対して私たちは「ダメだ」とはっきり言ってこなかったのではないか》
《私たちが苦しんでいるのは、日本という国が、この社会の空気が、安倍さんを殺してしまったのではないかということなのだ》と結んでいる。
このような言説を真向から批判するのは、米山隆一衆院議員だ。
「暴力は、暴力をふるった人が100%、悪いんです。『〇〇の言論が影響を与えた』などという論理を許せば、言論の自由は失われます。言論は言論、暴力は暴力。影響があろうがなかろうが、暴力をふるっていない言論に、帰責してはいけないんです。
八幡氏や平井氏の論説は、論理的ではないし、安倍元首相の事件だけを特別扱いして、事件を利用しているとしか思えません。『安倍死ね』で容疑者が殺害を決意したわけではなく、因果関係はゼロですよ。『もしかしたら影響を与えているかもしれない』なんてことを言い出したら、批判がまったくできない、怖い世界になってしまいます。何も発信できなくなる。そんな社会になってしまってはダメです」
米山氏が自身のTwitterで《別に正当化なんてしませんが、しかし、「死ね」って実はかなり日常的に使われる言葉ですよ》と書き込むと、批判が殺到した。
「『死ね』という言葉は、罵倒語であって、正当化はできませんが、この言葉に殺意があるわけではないし、実際に殺人事件が起きたときに、その責任を負わせるべき言葉でもありません。
《『死ね』って日常的に使う言葉ですよ》と書いたら、『使わない』とか『おかしい』というコメントが殺到しました。半年に1回ぐらい聞く言葉ではありませんか? けっして『○○死ね』という言葉を正当化するものではありませんが、絶対に使うべきではない、という言葉でもありません。そりゃ、たとえば、私が法律事務所の部下とか、私の秘書に『死ね』と1日に10回も20回も言ったら、いじめやパワハラになってアウトですけど。
『死ぬ』『死にそう』という表現はみな使いますよね。なにか失敗したとか、どうしようもない状態になってしまったという場面で、よく使われる言葉です。一般に言う、『○○死ね』という言葉は、そういう意味合いの言葉です」
2014年4月、ドイツ文学翻訳家の池田香代子氏が、自身のTwitterに、安倍氏を批判する意味をこめて《あ べ し ね》とツイートして炎上。池田氏は、その後ツイートを削除したものの、今度は、シュガーの『ウェディング・ベル』の歌詞をもじって《くたばっちまえ アーベ》と投稿し、また批判を浴びた。池田氏は、平和運動家としても活動している。
「感心はできませんが、池田さんの《あ べ し ね》にしても《くたばっちまえ アーベ》にしても、本当に殺意があるかは、通常の常識で解釈できる言葉だと思うんです。シュガーの本来の歌詞の意味は、幸せになった元カレに対する、くやしまぎれの悪態ですよね。《あ べ し ね》だって、どうしようもない権力に対するくやしまぎれの悪態じゃないですか。そういうものを本当に殺意があるかのように、どちらが強いか弱いかも考慮せず、まるで『安倍死ね』という言葉が今回の事件を引き起こした、なんて議論は、言論の封殺だと思うんです。
『死ね』という言葉は、度を越さない限り、名誉棄損にも侮辱罪にも当たりません。
政治家は、ある程度、罵倒されてしかるべきです。そういうと《お前に『死ね』と言ってもいいのか》という書き込みがすごく来ますけど、度を越せば訴えますよ。度を越せば損害賠償も求めるし、刑事告訴もしますよ。でも、軽く『米山死ね』というぐらいでは、現行の解釈では、侮辱罪にも当たりませんから。訴えもしません。
そりゃ、多少なりとも傷つきますよ。安倍さんだって傷ついたことがあったかもしれない。しかし、それが政治家である、ということでもある。それを否定したら、習近平国家主席に『くまのプーさん』と書き込んだらすぐに削除される、中国みたいになってしまいます。それを言ってもいいのが日本ですよ。『安倍死ね』といった途端に、殺意があるとみなして取り締まったり、殺人事件が起きたときに責任を負わせるのも、恐怖政治です。こんな言論封殺、恐怖政治に向かいたいなら、日本も中国のようになってしまうということです」
安倍元首相の銃撃事件はたしかにショックだ。だがその背景は、冷静に議論される必要がある。
( SmartFLASH )