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京セラ創業者・稲盛和夫さん死去…「もうダメだと思ったときが仕事の始まり」JALを救った名経営者の金言とは

社会・政治 投稿日:2022.08.30 18:04FLASH編集部

京セラ創業者・稲盛和夫さん死去…「もうダメだと思ったときが仕事の始まり」JALを救った名経営者の金言とは

JAL会長就任会見で早期再建を強調した(Natsuki Sakai/アフロ)

 

 京セラ創業者で、同社名誉会長、元京都商工会議所会頭の稲盛和夫氏が、8月24日に老衰のために自宅で亡くなっていたことがわかった。90歳だった。

 

 京都新聞によると、喪主を長女の金澤しのぶさんが務め、葬儀・告別式は近親者でおこなった。後日、お別れの会を開く予定だという。

 

 

 かつて稲盛氏を何度となく取材したのが、経営評論家の故・梶原一明氏だ。梶原氏が最初に京セラ本社を訪ねたのは1983年の冬。稲盛氏が1959年にわずか8人で設立した京都セラミックは、そのとき資本金46億円、海外も含め従業員数1万人に近い大企業に成長していた。

 

 かつて、本誌の取材に梶原氏はこう応じている。

 

「雰囲気は町工場そのものでね。毎朝、役員も一緒になってモップやバケツを持って走り回って掃除していた。朝礼では『気をつけッ!』と軍隊調の号令をかけて。一言で言えば精神主義でまとまった集団だった」

 

 稲盛氏は当時50歳。前年に社名を京セラに変更、この年カメラメーカーのヤシカを買収している。文字どおり奇跡の急成長を遂げている最中だった。

 

「稲盛氏はすでに神格化されていた。『ご苦労さん』と声をかけられた女子社員が感激して泣きだすほど」(梶原氏)

 

 印象的だったのは社屋前に置かれた「敬天愛人」の石碑だった。故郷・鹿児島の英雄、西郷隆盛の座右の銘で、「天を敬(うやま)い、人を愛する」という意味。「大家族主義」を謳う稲盛氏が京セラの社是としている言葉だ。

 

 稲盛氏は旧制中学の受験に失敗して肺浸潤を病んでいたころ、「生長の家」創始者の谷口雅春の著書『生命の実相』に啓発された。「これが京セラ経営の土台になった」と梶原氏に語っている。

 

 その後、65歳のときに得度しているが、仏教的な宗教観が独特の稲盛哲学を生んだのは間違いないだろう。

 

 稲盛氏の名をさらに高めたのが、1984年の第二電電創業、2000年のKDDI設立だった。ビジネスのかたわら、経営塾を発足させて若手経営者を支援するなど、さまざまな場面で経営の “教祖” となっていく。

 

 ただし、稲盛氏はあくまで現実主義で、神格化されるような経営者ではないと梶原氏は語っている。

 

「本田宗一郎や松下幸之助には強烈な “引力” があったが、稲盛さんにそれは感じない。あえて言えばわかりやすいこと。そこが魅力かもしれません」

 

 2010年、稲盛氏は、戦後最大の負債を抱えて経営破綻した日本航空(JAL)の立て直しに奔走する。そのとき、多くのJAL社員を勇気づけた言葉がある。

 

「もうダメだと思ったときが仕事の始まり」

 

 もともと京セラのフィロソフィ(信念)として伝えられた言葉だ。企業再生においてまさにぴったりの言葉となり、JALは見事に経営を立て直すのだった――。

( SmartFLASH )

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