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旧統一教会はなぜ創価学会のように独自政党を持たなかったのか? じつは「独自候補」を擁立した歴史が

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2022.09.07 14:28 最終更新日:2022.09.07 14:58

旧統一教会はなぜ創価学会のように独自政党を持たなかったのか? じつは「独自候補」を擁立した歴史が

旧統一教会の田中富広会長(写真・時事通信)

 

 9月4日付の「朝日新聞」は、全国の国会議員と都道府県議、知事を対象に実施した、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)との関係を尋ねる大規模アンケートの結果を発表し、計447人が教団や関連団体と接点があったことを認めたと報じた。国会議員は150人が接点を認め、そのうち自民党議員は120人に上った。

 

 国会議員のみならず、地方議員など全国の政治家とも深く関わっていた旧統一教会。もちろん、宗教団体の政治活動は法律で禁じられているわけではない。創価学会のように、ロビー活動にとどまらず、公明党という支持政党をもつ教団もある。

 

 

 ではなぜ、社会的影響力を保持しようとしてきた旧統一教会は、独自の政党を持たなかったのか? この疑問を本誌は教団にぶつけたところ、広報部長は次のように答えた。

 

「かなり昔のことなので知っている者も少ないのですが、1980年代までに国政選挙で独自候補を出したことはあります。たしか参院選挙に、女性3人を擁立しました。党を立ち上げたわけではなく、無所属の候補者でした。主たる目的は、誰かを当選させようというより、女性の候補者を出して認知度を上げることのほうにあったと思います。結果は惨敗で、それ以降は旧統一教会として候補者を出すことはあきらめました」

 

 この回答を受け、教団の歴史に詳しい宗教学者の島薗進東大名誉教授にも同じ問いを尋ねた。

 

「宗教団体が勢力を伸ばそうとする際に考えられる手段として、政党を作るか、あるいは政治家を利用するかの2つの方法があります。

 

 旧統一教会も、かつて独自に候補者を擁立し、惨敗したということですが、やはり1960年代から1980年代にかけて、政治家と癒着し、日本で巨額の献金を集められたということを、ひとつの成功と彼らは見たのでしょう。また、本部は韓国にありますから、日本で政党を作ると、ある種、独立した機関となり、コントロールがきかない、と考えたのかもしれません。

 

 結果、日本では巧みに政治家を操って利益を誘導しようとしたのです」

 

 一方、創価学会はなぜ政界への進出に成功したのか。

 

「創価学会の場合、もともと日蓮仏法を世に広める、という目標を掲げています。1930年に創設され、戦後、『折伏大行進(しゃくぶくだいこうしん)』という大規模な布教活動をおこなって多くの信者を獲得し、1950年代の終わりごろから政治に関わり始めました。仏教団体ゆえに日本社会に受け入れられやすく、信者という大きな支持基盤を得たことが、政界進出に成功した要因でしょう。

 

 池田大作会長時代は、民衆という言葉を盛んに用い、右でも左でもない『中道』や『第三文明』という立ち位置をアピールしました。しかし、1970年に起こった自らに批判的な書籍の流通を阻止する『言論出版妨害事件』で、創価学会と公明党は糾弾されます。その後も池田会長は、宗教団体のトップでありながら公明党に大きな影響力を及ぼしているということへの強い批判が続きました。この間、創価学会は自民党や、敵対する日本共産党などとの関係改善を図りますが、政治と宗教の関係を疑問視する声はやみませんでした。1999年に自公連立が成立して以降は、政教関係への批判が弱まる一方、創価学会は自民党に従属して利益を得ている、と指摘する声が目立っています。

 

 旧統一教会は、政治を第一目的とせず、自分たちの組織や宗教活動を守るために、政治家や政党を利用する方法を選んだといえます。一方、創価学会は日蓮の『立正安国論』にあるように、仏法によって国を正しい方向へ進めていく、という使命感があり、自ら政治を担う方向へ進みましたが、その後、教勢拡張・維持のために選挙活動をおこなっているとの批判を受けるようになります」

 

 独自政党を立ち上げた創価学会とは対照的に、さまざまな名称を使い分けながら政治家に接近し、陰で影響力を行使してきた旧統一教会。こうして、社会の中枢に密かに浸透してきたのだ。

( SmartFLASH )

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