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存在理由がよくわからない「参議院」なんでできたのか…実は「売り言葉に買い言葉」で誕生した

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2023.06.23 11:00 最終更新日:2023.06.23 11:00

存在理由がよくわからない「参議院」なんでできたのか…実は「売り言葉に買い言葉」で誕生した

塔に向かって右が参議院、左が衆議院(写真・AC)

 

 存在理由がよくわからない参議院は要らないのではないか。これが参議院をめぐる議論としてよく聞かれます。では、なぜ参議院は誕生したのでしょうか。言ってしまえば、「売り言葉に買い言葉」だったのです。

 

 昭和20年(1945年)年10月、幣原喜重郎首相はマッカーサー元帥から憲法改正の示唆を受け、国務大臣の松本烝治法学博士を長とした、憲法問題調査委員会を設けました。

 

 

 松本は帝国憲法を改正しなくとも、たとえ変えるにしてもせいぜい手直しするぐらいで、GHQが言ってくるような民主化など可能だと考えていました。

 

 確かに戦前・戦中の日本はいろんなことを間違えたから敗戦・占領の憂き目を見たのですが、それは帝国憲法の運用が間違っていたからで、憲法典自体の罪ではないと考えていたからです。

 

 ただ、改憲の機運が出たことで、運用で誤ったところは変えたほうがいいだろうとの考えが主流になっていきます。松本の言によれば「必要最小限度の改正」(佐藤達夫『日本国憲法誕生記』中公文庫、1999年、27頁)をして、「松本案」と呼ばれる原案をまとめました。

 

 しかし、これはGHQが考えていた改憲とは、大きく掛け離れていました。そこでマッカーサーは、スタッフに草案を9日間で作らせます。それを提示された松本烝治憲法問題担当大臣、吉田茂外務大臣、通訳をする白洲次郎ともう一人(外務省の長谷川元吉という通訳)の、4人は絶句します。

 

 まず「序文」があって、チャプター1(第一章)が「エンペラー」。アーティクル1(第一条)に「エンペラー イズ シンボル」と書かれているのです。

 

 直訳すれば「天皇は象徴である」となり、いきなりこんな条文案を示されても何を言っているのか、松本らにわかるわけがありません。現代の政界や憲法学でも、「象徴」とは何なのかで議論が尽きないのですから。

 

 象徴とは国家元首なのか、それとも国家元首ではない言葉通りの単なる象徴なのかで、議論が分かれています。ちなみに、このときに白洲次郎が恐る恐る「象徴でしょうか」と訳したので、そのまま「天皇は日本の象徴である」ということになりました。

 

 こんな調子で、いちいち細かく挙げればキリがありません。マッカーサー草案は、書きたいことを羅列した作文みたいな内容で、法律の体をなしていませんでした。

 

 特に、草案作成に携わった一人、当時22歳だったベアテ・シロタ・ゴードンはソビエト社会主義連邦共和国憲法とワイマール憲法に魅せられた人物で、細かく規定する条文を書き連ねていました。

 

 彼女の書いた条文案は「家庭は、人類社会の基礎であり~」で始まるような、自分の理想を長ったらしく書き連ねた作文でした。それでも上司のチャールズ・ケーディスが相当削ったり、短くしたりしたらしいです。

 

 たしなめているケーディスにしても、弁護士ではありますが、憲法の素人です。個々の条文でテキトーなことは言いますが、全体の整合性は取れません。

 

 たとえば、「国会は国権の最高機関で、唯一の立法機関だ」とスターリン憲法の丸パクリ条文をそのまま押し付けてきながら、同時に三権分立も言ってくる。立法・行政・司法の三権が対等だから三権分立なのに、「最高機関」と言い出す。今の日本国憲法学が頭を悩ませている矛盾です。

 

 また、唯一の立法機関なのに、地方自治推進の立場で、「地方議会に条例制定権を認めよ」と押し付けてきたので、今の憲法学は「唯一の立法の例外」なんて列挙しなければなりません。日本国憲法の草案を作って寄こした連中など、その程度のオツムのド素人です。

 

 松本博士は日本の第一級の法学者ですから、この手の矛盾を即座に見抜きます。しかし、下手なことを言って藪蛇になっても困ります。白洲が「シンボルは象徴(でしょうか)」と訳したので、天皇陛下は象徴だということになりましたし、迂闊なことは言えません。

 

 松本は、GHQでマッカーサー草案に関わった連中は憲法の素人で、条文も素人がつくったから法律の体裁になっていないのだと気づきます。そして、ここなら当たり障りがないだろうと、「ところで、日本は貴衆両院の二院制なのに、そちらの案では一院制になっているが理由は何か」と尋ねました。

 

 これに対してGHQ側は「日本は連邦制ではないから地方代表も要らないし、貴族制度は廃止するのだから貴族院はいらないだろう。だから一院制の衆議院だけでいいのではないか」と答えます。松本からすれば、「コイツら、頭は大丈夫か」です。

 

 松本は普通の国が二院制をとる理由、いわゆる “チェック・アンド・バランス” について滔々(とうとう)と講義する始末です。チェックとは第一院が多数で決めたことを文字通りチェックし、考え直してみる行為であり、バランスとは権力の偏りを避ける機能です。

 

 憲法政治の母国では、選挙で選ばれた衆議院の多数派が内閣を組織し、行政を掌握します。それを議会、特に第二院の貴族院が監視、誤りがあれば手直しするのが仕事です。

 

 GHQ側も一院制にするかどうかについては譲歩事項と考えていたようで、この時点で既に「二院制にしてもよい」と言っています(前掲『日本国憲法誕生記』、32頁)。こんなデタラメな始まりで、戦後日本は二院制を歩むこととなります。

 

 マッカーサー案を受けて松本国務大臣と佐藤達夫法制局第一部長が新改正案をGHQに持って行き、天皇事項をめぐって松本烝治とケーディスが罵り合うような激高したプロセスの中で、天皇事項などに比べれば軽微な問題であった二院制はそのまま残ったのです。

 

 参議院が誕生したのは “売り言葉に買い言葉” だったというのは、こうした経緯があったからです。

 

 

 以上、倉山満氏の新刊『参議院』(光文社新書)をもとに再構成しました。一般的に衆議院より格下とみられている参議院はなぜ重要なのか。参議院の役割を、憲法学、政治学、歴史学の視点で解き明かします。

 

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( SmartFLASH )

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