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元NPB審判が指摘する「リクエスト判定」の“重大な不備”…「飲食店は違う店に」選手との関係づくりに苦労も

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2024.05.24 06:00 最終更新日:2024.05.24 06:00

元NPB審判が指摘する「リクエスト判定」の“重大な不備”…「飲食店は違う店に」選手との関係づくりに苦労も

元プロ野球審判員の坂井遼太郎氏(写真・久保貴弘)

 

 一塁手の足が完全にベースから離れていたが、塁審の「アウトコール」は球場に響いた。

 

 4月10日、横浜DeNA対中日戦での出来事だ。リクエスト要求の末、判定は覆りセーフとなったが、“大誤審”として猛批判が起きる事態に。

 

 日ごろ、ネガティブな視線ばかり注がれる“プロ野球の黒子”である審判員の心境とは――。

 

 

「当たり前のことを当たり前にやらなければいけませんが、1試合を見たら絶対にひとつ以上の誤審をしているんです」

 

 こう話すのは、2018年までNPB(日本野球機構)の元審判員として、通算350試合に出場した坂井遼太郎氏(39)だ。

 

「12年間でいろんな経験をしました。誤審をした不甲斐なさのあまり、控え室に戻って泣き続けたこともありました。何百球のストライク・ボールの判定より、得点にも絡みやすいベース上の判定のほうが案外キツいですよ」(同前)

 

 プロ野球にビデオ判定が導入されて15年め、リクエスト制度も7年めを迎え、正確なジャッジが増えたと思われがちだが、坂井氏は当初からの問題点をこう指摘する。

 

「導入前、審判部でも賛否両論があって、僕は反対でした。というのもNPBの場合、MLBやJリーグのような検証専用の独自映像ではなく、中継局が再生する映像をただ見ているだけなんです。

 

 審判が見返したい位置で一時停止をすることやコマ送りはできません。見たい場面が映らない場合もあって、判定にずいぶん時間がかかるのはそのためです。

 

 当時の審判部も『この映像での判定は難しい』『揉めるだろう』と意見を出していたのですが、NPBと12球団が『それでもいい』ということだったんです」(同前)

 

 この環境が坂井氏の現役引退にも繋がる。

 

 2018年6月22日のオリックスソフトバンク戦で、延長10回表にソフトバンクの中村晃がライトにファウルを放った。リクエストを受けた審判団は当初の判定を覆し、本塁打にしたが、試合後に「ファウルだった」と誤審を認める大事件が起きたのだ。

 

「そのとき、最初に打球判定をする一塁塁審を務めていたのが僕でした。僕は100%の確信を持って『ファウル』とジャッジしました。ただ、ソフトバンクの工藤(公康)監督は延長戦とあって、『とりあえず見てほしい』とリクエストを要求したんです。この試合の球場は、あまり試合開催が多くない『ほっともっとフィールド神戸』。

 

 映像設備も不十分な状態で、カメラ1台の映像しかなかったんです。リプレー検証で、時間をかけて審判団で見ているうちに、ある審判が『(打球が)ポールを巻いていないか』とボソッと言ったんです。僕にはリクエスト制度の運営上、そのとき発言権がなかったのですが、だんだんと審判団の意見が『巻いてないか?』から『巻いている』になり、『本塁打でいく』と。

 

 フィールドに戻る道中、僕は『絶対ファウルだ』とアピールしたのですが、『坂井、すまん。ファウルの映像がないから判定を変えるしかない』と。あの試合以降、『この状況ってなんなんやろ……』と思いましたね」(坂井氏)

 

 そんな舞台裏を知る由もないファンの批判の多くは、一塁塁審の坂井氏にも向かった。審判員時代は、心筋炎も患ったという。

 

 一方、NPB通算2598試合に出場した杉永政信氏(63)。

 

「若いころはスポーツ紙を読みましたが、いいことが書かれるわけでもなく、だんだんと読まなくなりました(笑)。審判を辞めてからは野球自体ほとんど見ていませんね」

 

 やはり苦悩が多かった。

 

「正直、審判になる前はストライク・ボールで、あんなにベンチからやいのやいの言われるとは思っていませんでした。

 

“いい場面”は2013年の日本シリーズ最終戦で、楽天の田中将大投手が9回から登板したときの球場の一体感のすごさくらいしか覚えていません。後は判定に文句を言われたことばかりです(笑)」(同前)

 

 投手と捕手の出来事は審判の記憶に残りやすいのか。坂井氏はある選手の“処世術”を印象的に語った。

 

「里崎智也さんは、判定に不服の感じを出した投手に『ボールに決まってるやろ!』と言いながら返球し、その後に僕を見て『ねえ!』と(笑)。引退後に聞いたら、『審判と喧嘩してもメリットないでしょ』と言っていましたね」

 

 試合以外にも苦労はある。

 

「私は、もし先に選手が同じ飲食店にいたら、別の店を探すようにしていました。選手としゃべっているのを第三者が見たら、印象がよくないじゃないですか」(杉永氏)

 

 坂井氏は「ナイター後に開いている店は限られるので、僕は選手と同じ店になることもありました」と明かしつつ、こんなつらいエピソードも。

 

「やはり野球界で見たら審判と選手でも“上下関係”はあるんですよ。僕より後輩の選手が同じ店にいて、挨拶に来たら『さすがに払うよ』となります。

 

 反対に先輩の選手がこっそり僕らのお会計をしてくれるときもあるんですが『それはマズいよ』ということで翌日、多めに包んでお代を返すんです。

 

 選手は審判よりはるかに稼いでいるのに、僕らがマイナスになることのほうが多かったですね(笑)」

 

 最後は審判と監督の関係性。坂井氏には、故・星野仙一氏と忘れられない思い出がある。

 

「楽天の監督時代に地方球場でオープン戦があったんですが天候が悪かったんです。試合後すぐに移動しなくてはいけない事情もあったと思いますが、年に一度、試合があるかないかの場所だったので、楽しみにしているファンになんとか試合を見せたいという気持ちだったのでしょう。

 

 星野監督が試合前に球審の僕のところに来て『わかってるやろ。ストライクゾーンはワイドでええぞ。ウチは絶対に文句を言わん』と。本当にワイドにコールしても、文句ひとつなく早めに試合も終わりました。

 

 その後、開幕後の楽天戦で星野監督と再会すると『あのときはありがとうな。でも、今日は公式戦だからキッチリいけよ。文句言うからな』と、笑いながら言われました(笑)」

 

 毎回、“100点満点”が求められる仕事は、かくも厳しいのか――。

 

さかいりょうたろう
金光大阪高校卒業後、米国のジム・エバンス審判学校での研修を経て、2007年に審判員に。2017年にはオールスターに初出場した。現在はSNSでの野球ルール解説のほか、スポーツ事業会社を経営中

 

すぎながまさのぶ
1980年、ドラフト1位で大洋に投手として入団。1986年に選手引退後、米国のジョー・ブリンクマン審判学校を経て、1987年に審判員に。通算35年でオールスター、日本シリーズはともに4回ずつ出場した

( 週刊FLASH 2024年6月4日号 )

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