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林家たい平、救われたのは初めてほめてくれた師匠の言葉「最近よくなったね」

エンタメ・アイドル 投稿日:2021.12.19 11:00FLASH編集部

林家たい平、救われたのは初めてほめてくれた師匠の言葉「最近よくなったね」

こん平師匠と映る二ツ目時代のたい平

 

■林家こん平の弟子として

 

 2004年、こん平師匠が神経系難病の「多発性硬化症」を患い闘病生活に入った。たい平は「原因不明の病気」と聞き動揺した。

 

「雪深い越後出身ですから辛抱強い人でした。体の調子が悪くても『こんなのはね、水飲んで太陽に当たれば治るんだよ』と言っていたほど病気とは縁がないと思っていました。『声が出ないんだよ』と聞いたときはとてもショックでした。落語家ですから……」

 

 今年、放送開始から55年を迎えた『笑点』(日本テレビ系)。こん平師匠は大喜利の立ち上げメンバーの一人だった。闘病中、主人のいない座布団だけが舞台にあった。

 

「オンエアを観て、あそこに自分がいないことが信じられない様子だったし寂しそうでした。代役を置かずにずっと復帰を待っていてくださった日テレさんや師匠の皆さんには感謝しかございません」

 

 2006年、こん平師匠から大喜利メンバーのバトンを渡されたたい平だったが、内心はとても複雑だったようだ。

 

「あの座布団に座るのはこん平でしたから。こん平も悔しかったと思います。弟子とはいえ、どうして俺以外の落語家が座っているんだと。私も『師匠はどう見ているだろう』とずっと気になりながら務めさせていただきました」

 

 1年半後、こん平師匠を見舞った際、思いがけない言葉をかけられた。

 

「声を出すのも苦しかったと思うんですけど、絞り出すように『たい平、最近よくなったね』と。芸でほめられたのは初めてでした。そう、初めてです。その言葉に救われました。だってあの場所は、こん平の場所ですから」

 

 間もなく、こん平師匠の一周忌を迎える。

 

「生きていてくれれば弟子たちを見ていてくださるし、落語も聴いていてくださいます。それが励みになります。弟子はみんな、こん平にほめられたくて落語を続けています。『おもしろいね』と言ってくださることが最高の喜びなんです。

 

 だけど、それはもうかないません。これからはこん平の弟子として恥ずかしくない落語家にならなくてはいけませんね」

 

 たい平は高座でよく、こん平師匠の話をする。

 

「こん平が亡くなったとき(笑福亭)鶴瓶師匠から電話をいただきました。『ええか、たい平。高座でこん平師匠のことをいっぱい話したって。そうすればみんなずっと、師匠のことを忘れへんから。わしもそうしてるから』と」

 

 梅肉サワーのお代わりがきた。空のグラスにゆっくりと注ぐ。思い出がよみがえる。

 

「真打お披露目のとき、お世話になった師匠を40日間おもてなしする慣習があり、連日朝まで飲みます。私のお披露目のときは、私が20日めにダウンしちゃって、『師匠、今朝点滴を打ってきました』と泣きを入れたんです。そうしたら『あ、そ。じゃあ元気になったね』と言われ、その夜も大酒宴でした」

 

 爆笑するたい平の目が滲んでいた。

 

はやしやたいへい
1964年12月6日、埼玉県秩父市生まれ 一般社団法人落語協会常任理事。1987年武蔵野美術大学造形学部卒業。1988年林家こん平に入門。1992年二ツ目昇進。1993年にNHK新人演芸コンクール優秀賞。2000年真打昇進。2010年武蔵野美術大学芸術文化学科客員教授に就任

 

【南国ファミリー】
住所/東京都豊島区西池袋1-23-1 
営業時間/16:00〜24:30(L.O.23:30)
定休日/日曜(日曜、月曜連休の場合は月曜休み) ※新型コロナウイルス感染拡大の状況により、営業時間、定休日が記載と異なる場合があります。

 

写真・野澤亘伸

 

( 週刊FLASH 2021年12月28日号 )

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