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『うちの子にかぎって2』で伝説に…夭逝したトップアイドル・高橋良明 母が明かす秘蔵写真と青春の日々

エンタメ・アイドル 投稿日:2022.10.09 11:00FLASH編集部

担当マネージャーが語る人気ぶり
「原宿で暴動が起きたのかと」

 

 当時の担当マネージャーであり、『高橋良明WebSite』の管理人・池田秀一さんも、思い出を語ってくれた。

 

「原宿中の人が気づいたんじゃないかって思うほど、たくさんの人が追っかけてきたんです。原宿のムラサキスポーツ前で、暴動が起こったような騒ぎになってしまいました」

 

 中学卒業後は、明大中野高校へ入学。

 

「芸能活動のできる明大中野に行ったけど、頭は弱いのよ(笑)。でもね、芸能界に入る前の小学生の時は、算数でも国語でも90点以下を取ったことなかった。役者を始めてから成績が急降下して、オール1だったことも(笑)。だって、学校行ってないんだもの。算数が得意だったのは、うちは商売(鮮魚店)をやっていて、良明は小さい頃からお店を手伝っていたから、お釣りの計算で暗算が鍛えられていたのね」(凉子さん)

 

 地頭の良さは、仕事にも活かされていたと池田さんは言う。

 

「人の名前を忘れないんですよね。仕事先で名刺交換をしても僕は忘れちゃうのに、良明はもらってないのにしっかり名前を覚えてるんですよ」。

 

 1987年には『オヨビでない奴!』(TBS)で連ドラ初主演。植木等、所ジョージと共演し、後継者とも目された。89年にはNHK大河ドラマ『春日局』に出演。まさに順風満帆だった。

 

「春日局のときは、長いセリフがあってねえ。『お母さん、相手役やって』っていうから、私が佐久間良子さんのセリフを一緒に練習したのよ。亡くなってからドラマの打ち上げで佐久間さんに会ったとき、どっかの飲み屋さんかな。その時のプロデューサーさんが『良明のお母さんですよ』って紹介してくれて。そしたら、すごい大泣きしちゃってね。自分の子供も同じくらいの年だったから、接し方を良明に聞いてたって。先輩から可愛がられてたわね」(涼子さん)

 

 家族との仲が良く、横浜市の実家に住んでいた良明は、ロケ先などから必ず電話を入れていたという。

 

「ロケ先に着いたら電話、帰るときも電話。それは必ずでしたね。嫌なこともあったらしくて、共演者の大物俳優がセリフ間違っちゃうと、何度も注意できないじゃないですか。そうすると、あるプロテューサーは良明に当たるらしいんですよ。『僕の顔に台本を投げてくるんだ』って。電話してきて泣いてるから、聞いたらそういうことがあったって。それをやられて黙って帰ってくるアンタのほうが大人なんだから、その人は子供なのよって言いましたね」(涼子さん)

( SmartFLASH )

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