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坂本冬美の『モゴモゴ交友録』細野晴臣さんーーシャイで無口なところは、清志郎さんと瓜ふたつ
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2023.01.28 06:00 最終更新日:2023.01.28 06:00
3人の頭文字、細野晴臣さんのH、忌野清志郎さんのI、そしてわたし、坂本冬美のSから名づけられた夢のユニット「HIS」。今回は、その誕生秘話からお話ししましょう。
夢のような物語はデビュー3年め、東芝EMI(現ユニバーサルミュージック)の創立30周年記念イベント「ロックの生まれた日」からスタートします。
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ーーこっちにおいでよ!
とばかりに、ひょいと清志郎さんに手を引かれたわたしは、セーラー服にメガネという衣装で、大阪城と日比谷、2つの野外音楽堂のステージに立っていました。
このとき集まったメンバーは清志郎さん、三宅伸治さん、わたしに、ベースの小林和生さんと、パーカッションのケニー・モズレーさんを加えた5人。ユニット名はわたし、三宅さん、清志郎さんの頭文字を取って「SMI」です。
熱狂、興奮、痺れるような空気感……わたしは異次元の世界に迷い込んだような不思議な感覚を味わっていました。
これは、HIS結成後に伺った話ですが、このステージのことを知った細野さんが「坂本冬美はおもしろい。僕も一緒にやってみたいなぁ」と、清志郎さんにおっしゃったということで。このとき清志郎さんは「この3人なら、ピーター・ポール&マリーのようなユニットを作れる」と、そう思われたそうです。こうして、わたしの知らないところで着々と話は進行し、聞かされたときには詞も曲も、すべてが完成していました。
ーー嫌だった?
まさか、そんなわけないじゃないですか。片や、 “THE KING OF ROCK” の清志郎さんで、もう一方は坂本龍一さん、高橋幸宏さんとのユニット・YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)で、日本の音楽シーンに強烈な衝撃を与えた細野さんですよ。
ロックとテクノの間で、演歌のわたしに何ができるんだろう? という不安はありましたが、それ以上にワクワクでいっぱいでした。
初めてお会いした細野さんは、とても穏やかなオーラに包まれているような方で。シャイで無口なところは、清志郎さんと瓜ふたつ。1991年に出したアルバム『日本の人』の中に『渡り鳥』という歌があるんですけど、お2人が話している様子は、歌詞の中にある “モズモズ” という言葉がぴったりで、わたしは密かにお2人のことを、 “モズモズ兄弟” と呼んでいたくらいです(笑)。
深夜、お2人がスタジオに籠り、お菓子を頬張り、モズモズ話しながら作業をしている姿は、想像しただけでほっこりした気持ちになります。
そんな細野さんが一度だけ、目を煌めかせ「今、ものすごく曲が湧いてきているんだよ」とおっしゃったのは、HISとして最初で最後のステージとなった2006年2月25日、大阪城ホールでおこなわれた『新ナニワ・サリバン・ショー』の打ち上げの席です。
「だからもう一回、HISをやりたいんだよね」
ぽつりと呟いた細野さんの横で「うん、いいね~。やろうよ」と、目を細めた清志郎さんの顔は、忘れることができません。
その後、細野さんにお会いしたのは、わたしが『おかえりがおまもり』で、日本レコード大賞最優秀歌唱賞をいただいた2011年の一度だけです。『HoSoNoVa』で、優秀アルバム賞を受賞された細野さんに手を振ったら、細野さんも手を振り返してくださって。
あのときの細野さんの笑顔は、変わらず穏やかで、優しいオーラに包まれていました。
さかもとふゆみ
1967年3月30日生まれ 和歌山県出身『祝い酒』『夜桜お七』『また君に恋してる』『ブッダのように私は死んだ』など幅広いジャンルの代表曲を持つ。現在、著書『坂本冬美のモゴモゴモゴ』(小社刊)が発売中!
写真・中村 功
取材&文・工藤 晋