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坂本冬美の『モゴモゴ交友録』本田美奈子.さんーー「絶対に2人は気が合うと思う」のひと言で仲よしに
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2023.03.11 06:00 最終更新日:2023.03.11 06:00
神様がお創りになった、かわいい子部門の最高傑作、キュートで愛くるしい美奈子ちゃんは1967年7月31日生まれで、わたしも同じ1967年ですが、生まれたのが3月だから、学年はわたしがひとつ上。
でも、デビューは美奈子ちゃんのほうが先で、2年先輩になります。
美奈子ちゃんが『殺意のバカンス』でデビューした1985年はアイドル全盛で、中山美穂さん、南野陽子さん、斉藤由貴さん、浅香唯さん、井森美幸さん、森口博子さん……といった錚々たる顔ぶれが揃っていました。
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その後、おへそを出したかわいい衣装の『1986年のマリリン』でトップアイドルの座を確立した美奈子ちゃんは、ロックに転向。さらに、ミュージカル進出と、演歌のわたしとは、まるで違う方向に向かって、全力で走り続けていました。
ーーその2人が、なぜ仲よしになったのか?
理由は単純です。2人は同じレコード会社、東芝EMI(現ユニバーサルミュージック)の所属で、宣伝担当も同じ。その宣伝の伊藤素子さんが呟いたひと言……「絶対に2人は気が合うと思う」という言葉がきっかけでした。
初めて一緒にお食事をしたのは……美奈子ちゃんがヒロインを演じたミュージカル『ミス・サイゴン』の公演後だったと記憶しています。
舞台の上にいる美奈子ちゃんは、あんな細っこい体のいったいどこに? と首を傾げたくなるほどパワーがあって、エネルギッシュで凛としていて。とにかくすごい! としかいいようのないオーラを纏っていました。
それなのに、カーテンコールで出てくる美奈子ちゃんは、いつもの美奈子ちゃんで。客席のわたしを見つけては「冬美ちゃんだ!」と、呟きながら手を振ってくれたり、花束を投げてくれたり……満面の笑みがとっても魅力的でした。
テレビの仕事で一緒になったのは歌番組とドラマ、2人で鎌倉を散歩した旅番組、それと色違いのジャージと必勝ハチマキで挑戦した『関口宏の東京フレンドパークII』(TBS系)くらいじゃないかと思います。
会ってお話をするのは、1年に一度か二度……。でも、いつ会ってもしっくりくるというか、波長が合うというか。一緒にいる時間がとっても心地よくて、言葉では説明できない、何か不思議なご縁で繋がっていました。
美奈子ちゃんが亡くなった今も、そのご縁は続いています。毎年、お墓に手を合わせ、その帰りにご実家に寄せていただいて、美奈子ちゃんが座っていたという座椅子に座り、美奈子ちゃんが大好きだったという水餃子と煮豚を頬張り、甥っ子ちゃん、姪っ子ちゃんたちに囲まれ、美奈子ちゃんが好きだったというトランプに興じています。
「ただいま」「お帰り」「行ってきます」「行ってらっしゃい」。美奈子ちゃんの代わりはできないけれど、お母さんと交わす言葉のひとつひとつが、美奈子ちゃんへの想いで、溢れそうになります。
猪俣公章先生、島倉千代子さん……家の棚には、お世話になった方々の写真が並んでいますが、その中に美奈子ちゃん、伊藤さんと3人で撮った一枚もあります。
それは、ドラマ『遠山金志郎美容室』(日本テレビ系)の控え室で撮った一枚で、わたしは西田敏行さんの亡くなった奥さん役……ほぼ遺影での出演でしたが(笑)。美奈子ちゃんは、夏木マリさんの娘役。
写真の中の美奈子ちゃんは、今も変わらず、ニコニコと微笑んでいます。
さかもとふゆみ
1967年3月30日生まれ 和歌山県出身『祝い酒』『夜桜お七』『また君に恋してる』『ブッダのように私は死んだ』など幅広いジャンルの代表曲を持つ。現在、著書『坂本冬美のモゴモゴモゴ』(小社刊)が発売中!
写真・中村 功
取材&文・工藤 晋