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吉田栄作、16歳の夢をかなえたときに感じた限界「世間が言うもう一人の自分が怖くなった」

エンタメ・アイドル 投稿日:2023.10.29 11:00FLASH編集部

吉田栄作、16歳の夢をかなえたときに感じた限界「世間が言うもう一人の自分が怖くなった」

吉田栄作

 

「もともとの出会いは中野坂上のおでん屋さんなんですよ」と「天狗鮨」の大将・田島久丸さんとの出会いをにこやかに話すのは吉田栄作。地下鉄・東陽町駅からほど近い「天狗鮨」は、吉田が13年近く足を運ぶ一軒だ。

 

「新宿で舞台の稽古をしていたときに、当時のプロデューサーが案内してくれたのが大将のおでん屋さん(「うどん・おでん久丸」)。稽古中に通っているうちに、大将が元プロレスラーだとわかって。子供のころからプロレスが大好きだったので、すっかり大将と親しくなり、こちらの店にも通うようになりました」

 

 

 カウンターに座り、まずは生ビールで喉を潤すと、いつものように大将が鮨を握る。

 

「大将に旬の魚を聞きながら握ってもらいます。イカやタコ、光りものから攻めていく感じですね。シメは決まっていて、かんぴょう巻きのわさび入り。鼻にツーンと抜ける感じがシメに最高なんですよ」

 

 そう話す吉田はイサキの握りを口に運び、日本酒をちびり。一気に顔がほころぶ。

 

 吉田が俳優を志したのは16歳のとき。当時つき合っていた彼女とデートで訪れた新宿の高層ビルから地上を眺めたとき、歩く人間が小さく見え、自分も地上に降りればその中の一人だと感じた。このときに自分の名前を残したいと強烈に思い、その場で俳優になろうと決意する。

 

「子供のころはテレビで放送していたロードショーをよく観ていました。父の趣味でアラン・ドロンのポスターが貼ってあって、映画雑誌に載っていた斜に構えたTシャツにGパン姿のジェームズ・ディーンを見て『かっけぇな』って。俳優を目指したのは、そんな環境と、一攫千金のようなギャンブルに憧れる気持ちがあったのかもしれません」

 

 すぐに俳優養成所に入るが、演技は未経験。人と面と向かって芝居をする難しさを痛感する。そんなとき、吉田の演技を褒めてくれる指導者と出会い、演技に目覚めていく。

 

 19歳のときに出場したコンテストでグランプリを受賞、渡辺プロダクション(現ワタナベエンターテインメント)に所属する。その後は人気が爆発、トレンディドラマには欠かせない存在となっていく。

 

「わずか数年だったので順調に見えますが、歌手としてヒットしたのは3曲めの『心の旅』で、すべてがうまくいったわけではなかった。オーディションは何度も落ちましたし、そのときの僕を担当して売り込んでくださった現在のワタナベエンターテインメント社長の渡辺ミキさんの残念そうな顔は、今でも覚えています。いい経験をさせていただいたと思っています」

 

 ドラマ『もう誰も愛さない』が放送された1991年ごろには、人気は絶頂。だが、 “ビッグマウス” “生意気” など、吉田とは乖離した “吉田栄作像” が一人歩きしていく。

 

「せっかく掴んだチャンスをもっと生かすためには、さらにギアを上げてトップギアに入れないといけない。そのためにはある程度人格を変えてでもやらなきゃいけないという思いがありました。ただ、あまりにもここにいる自分と世間が言う自分がかけ離れてしまい、怖くなっていました。どこかで帳尻を合わせなきゃということを、思い始めていました」

 

『もう誰も愛さない』では、吉田が演じた主人公の沢村卓也が最終回で絶命する。

 

「最後に『どこへ行こうか、これから』というセリフがあるんですが、これは監督と話し合って決めたんです。すべてを終わらせた卓也のセリフでもあり、人間・吉田栄作の心の声でもありました。しかも偶然にも、16歳のときに高層ビルの上から見た景色の中で、演じた主人公が亡くなる。16歳で描いた夢を22歳でかなえた僕も、ここで一度終わる。僕にとって最後のセリフはダブルミーニングなんです」

 

 ここから4年かけてまわりの関係者を説得し、アメリカのロサンゼルスへ旅立つ。人気絶頂で休業することに怖さはなかったのだろうか。

 

「自分じゃない自分がただ頑張っているだけだったから、そのまま居続けるほうが怖かったです。本当の自分に戻してリセットしたかったんです」

 

 アメリカで過ごした3年間は、5000ドルで購入したジープを相棒に、レッスンやオーディションを受けてスポーツを楽しみ、気ままに過ごした。

 

「とても刺激になった演技の教材が『Do not act, please』。演じているうちはダメなんだ、なりきれということなんでしょうね。共演した役者からは、演技で生活していく人間のソウルを感じたし、そんな彼らに恥じないように生きていきたいと思っています」

 

 日本への帰国は考えていなかったが、NHKのドラマ『流通戦争』(1998年)に一時帰国して出演したことがきっかけで、大河ドラマ『元禄繚乱』(1999年)のオファーが舞い込む。

 

「アメリカでNHKの大河ドラマが放送されていて、観ていたらおもしろくて。まだ時代劇をやったことがなかったと思っていたらお声がけいただいたので、帰るかな、という気持ちになりました。アメリカでの経験で考えが変わったのは、自分が俳優や歌手という一表現者として生きる前に、まず一人の人間として生きるべきだということ。これは今も大切にしています」

 

 こうして3年間の演技修業から帰国。社会派作品やホームドラマ、舞台などにも多く出演し活躍の場を広げている。

 

 10月24日からは人気マンガが原作のドラマ『マイホームヒーロー』(MBSほか)に出演し、詐欺師の麻取義辰(まとりよしたつ)を演じている。

 

「ファンが多い作品なので、一挙手一投足、期待を裏切らないように演じています。敵対する佐々木蔵之介さん演じる鳥栖哲雄(とすてつお)との距離が徐々に詰まっていく感じはスリリングなので、楽しみに観ていただければと思います」

 

 歌手活動では、今年8月1日には俳優生活35周年を記念した『Old Soldier〜老兵の剣〜』を発売した。

 

「『愛着だらけの鎧』や『研ぎ続けた魂の剣』という歌詞が出てくるんですが、僕も54歳。戦国時代なら幾多の戦いを経験してきた老兵だろうということで、自分が俳優生活35年で経験してきたことを曲にしました」

 

 32年前のドラマのセリフのように、吉田はこれからどこへ向かうのか。

 

「夢をかなえた22歳までが第1章、アメリカで過ごし帰国してからが第2章。50歳でワタナベエンターテインメントを独立させていただいてからが第3章だと思っています。独立した会社名の『DHUTA(ドゥータ)』の語源は旅人が持っているズタ袋、僧侶が首に下げている袋のことで、人生は旅であり修業だということで決めました。これからも“GパンTシャツの吉田栄作物語”は第4章までと続いていくと思うので、ズタ袋ひとつで歩んでいきたいですね」

 

 平穏な人生はつまらない。ピリリと辛さが利いた道を歩く。

 

よしだえいさく
1969年1月3日生まれ 神奈川県出身 1988年、映画『ガラスの中の少女』でデビュー。1991年、ドラマ『もう誰も愛さない』(フジテレビ)、『愛さずにいられない』(日本テレビ)などでトレンディドラマ俳優として一世を風靡。2003年にはNHK大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』、『ブラックジャックによろしく』(TBS)の演技が評価されギャラクシー賞の奨励賞を受賞。2021年は『全裸監督 シーズン2』(Netflix)など数多くの作品で活躍。音楽活動では1990年に『心の旅』、1991年に『もしも君じゃなきゃ』でNHK紅白歌合戦に出場。1919年には歌手デビュー30周年を迎え、2020年より全国ツアーを実施、俳優デビュー35周年の今年にはCDシングル『Old Soldier~老兵の剣~』をリリース。ドラマ『マイホームヒーロー』(10月24日スタート MBS毎週火曜0時59分〜/TBS同1時28分〜)に出演

 

【天狗鮨】
住所/東京都江東区東陽4-6-5
営業時間/月〜土曜11:30〜14:00(L.O.13:45)、月〜金曜17:00〜22:00(L.O.21:30)、土曜17:00〜21:00(L.O.20:30)
定休日/日曜・祝日

 

写真・野澤亘伸 
ヘアメイク・TOSHI(Le’vie)

( 週刊FLASH 2023年11月7日号 )

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