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電撃ネットワーク・南部虎弾さん急逝…ダチョウ倶楽部時代のぶっ飛んだ発想に驚愕!
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2024.01.29 11:00 最終更新日:2024.01.29 11:00
ふとん圧縮袋に入って空気を抜いたり、牛乳を鼻から飲んで目から出したりする過激なパフォーマンスで知られる『電撃ネットワーク』。そのリーダーである南部虎弾さんが、1月20日、脳卒中でお亡くなりになりました。
実は南部さんはダチョウ倶楽部の初代リーダーでもあります。肥後克広さん、寺門ジモンさん、上島竜兵さん、南部さんからなる4人でダチョウ倶楽部はスタートしているのです。
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筆者は以前、肥後さん、ジモンさん、生前の竜兵さんに、4人の出会いについてお話を伺っています。
ジモン「僕と竜ちゃんは劇団が一緒だったのね。それで、劇団の先輩の渡辺正行さんに『2人でコントをやらせてください』って言ったの。そしたら『お前らのコントはモノになるのに10年かかるわ』って。
それで渡辺さんが『いろいろと知り合いがいるから集まれよ』って言われて、2人で新宿の喫茶店に行ったら20人ぐらいいて。そのなかにリーダー(肥後)がいたんですよ」
肥後「電撃ネットワークの南部さんもいた」
上島「俳優の近藤芳正さんも」
ジモン「それで渡辺さんに『半年後にラ・ママ新人コント大会(現在も開催されている渡辺正行さん主催のお笑いライブ)があるから、お前らネタ作れよ』って言われて。そのときに暇だったのが俺たちと南部さんしかいなかったの」
肥後「それで、その4人でライブに出たら渡辺さんに『おもしろかったからまた来月もな』って言われて、そのままズルズルと……」
そこからカルテットでのダチョウ倶楽部の活動がスタートしました。
上島「最初の頃は六本木のショーパブの『バナナパワー』にも出てたね」
ジモン「当時はB21スペシャル(ヒロミさん、デビット伊東さん、ミスターちんさん)とか、ちびっこギャングとかも一緒に出てたよ」
4人で2年ほど活動した頃、ダチョウ倶楽部に異変が起き始めたと言います。
ジモン「南部さんが突然『俺はツッコミがやりたい』って言いだしたんだよな」
肥後「そう。『ボケはいやだ! ツッコミをやりたい』って。南部さんはメガネが縦に掛かってるような人なのに(笑)」
ジモン「ピチピチのタンクトップに髪の毛は河童みたいになってて『俺は久米宏になる』って言ったんだから(笑)」
肥後「南部さんは人を笑わせたいんじゃなくて驚かせたいの。南部さんがコントで頭にうんこを乗っけて登場するというのがあったんですよ。
まぁ、うんこは、かりんとうでいいじゃないですか。でも南部さんは本物のうんこを乗っけたいと。
俺らが『絶対にお客さんは引くよ』って言っても南部さんは『いやいや本物のほうが、お客さん絶対驚くぜ』って。いや、そら驚くよ!(笑)」
上島「南部さんは当時から、まさに電撃ネットワークみたいなことをやりたかったの」
南部さんがリーダーだった頃から、ダチョウ倶楽部は深夜番組に出演して人気者でした。さらに電撃ネットワークのリーダーになってからも、特に欧米では「TOKYO SHOCK BOYS(トーキョー・ショック・ボーイズ)」という別名で知られており、世界で高い評価を得ています。
リーダーとして2つのグループを成功に導いた南部さんの功績は偉大です。ぶっ飛んだ発想のなかに、常人には理解できない緻密な計算があったに違いありません。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している。
( SmartFLASH )