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阿部サダヲ『不適切にもほどがある!』SF設定が粗くてグダグダでも「おもしろいが正義」クドカンの圧倒的才能にひれ伏す

エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2024.02.23 11:00 最終更新日:2024.02.23 11:00

阿部サダヲ『不適切にもほどがある!』SF設定が粗くてグダグダでも「おもしろいが正義」クドカンの圧倒的才能にひれ伏す

 

「おもしろいが正義」――エンタメ作品におけるシンプルかつ最強の結論を、脚本家宮藤官九郎の圧倒的才能を前に、ひれ伏すような気分で受け入れることになる。

 

 

 阿部サダヲ主演でクドカンが脚本を務める『不適切にもほどがある!』(TBS系)。2月16日(金)に第4話が放送された。

 

 この作品を観ていると、極論、綿密な設定やら整合性があるかどうかなんて、「おもしろい」という事実の前ではたいした意味はないのだと思い知らされる。

 

■主人公とヒロインの血縁関係などで考察が盛り上がる

 

 1986年に生きる昭和のおじさん・小川市郎(阿部)が、ひょんなことから2024年にタイムスリップしてしまうストーリー。市郎がコンプライアンスなんてなかったに等しい昭和の価値観のまま、現代の令和で出会った人々に絡んでいく様子が楽しく、令和の時代だとアウトな暴言や行動を上手にギャグとして昇華させている。

 

 一方、市郎とは逆に、2024年から1986年に社会学者(吉田羊)とその中学生の息子がタイムスリップ。市郎視点で昭和の価値観から見た令和のおかしさを浮き彫りにしつつ、社会学者視点で令和の価値観から見た昭和のおかしさも浮き彫りにしていく二重構造を、クドカンならではの巧みな会話劇でコミカルに描いていく。

 

 また、意外と数々の謎が散りばめられており、ちょっとした考察ブームが巻き起こってもいる。

 

 最大の考察対象は、令和時代のシングルマザーで本作のヒロイン的ポジションである犬島渚(仲里依紗)は、誰の子どもなのかということだろう。現時点では市郎の娘の子ども、つまり市郎の孫の可能性がほのめかされている。

 

 ほかにも、市郎は令和時代の大学教授が開発したタイムマシン型バスにたまたま乗車して最初のタイムスリップをしたのだが、いきつけの喫茶店のトイレにある穴も昭和と令和をつなぐタイムトンネルのようになっている。なぜ喫茶店のトイレでタイムスリップできるのかという謎も考察対象となっている。

 

■タイムパラドックスの設定がだいぶ甘い

 

 このように視聴者を巻き込んでヒットしているのだが、率直に言ってけっこう設定が粗いと感じる部分は多い。

 

 一例だが、タイムトラベルものでお馴染みの、過去を改ざんすると未来が変わってしまったり、過去人が未来の人間とかかわることで歴史が変わってしまったりするという、タイムパラドックスの設定は本作にもある。けれど、その設定が、だいぶ粗いというか甘いのである。

 

 令和から過去に来た社会学者親子はがっつりと昭和時代の人々と交流しているし、令和の価値観を昭和の人々に叩き込んでいるフシもある。一部の人間には自分たちが未来から来たこともあっさりと明かしている。

 

 市郎も昭和から来たということを令和の人々に話してしまっているし、昭和の価値観のまま令和の問題をどんどん解決していく。

 

 しかし、本作におけるタイムパラドックス的には、これらのことは “セーフ”。市郎や社会学者親子は、それぞれの時代にだいぶ影響を与え、歴史改変のリスクが高いことをしているように思うのだが、スルーされているのだ。

 

 本作において、タイムパラドックスの危険性があるとされているのは、いまのところ恋愛関連のみ。特に血縁関係にある者同士が時代を超えて恋愛展開になりかけると、警告的にビリビリッと電流が流れるように弾け飛ぶのだ。

 

 社会学者の息子と昭和を生きる中学生時代の父親がボーイズラブでキスしそうになると、当然タイムパラドックスのリスクがあるため、2人はビリビリッと弾け飛んだ。そして、市郎と渚も惹かれ合い、キスしそうになって顔を近づけるとビリビリが起きたので、祖父と孫娘なのではと考察されている。

 

■コント的な粗い設定のほうがシンプルでわかりやすい

 

 SF設定を綿密に突き詰めていくなら、キスや性的行為など恋愛関係になるかどうか以前の問題で、こんなにも過去人と未来人が交流している時点で “アウト” ではないかと思うが、本作はそんな細かいことを気にしていない。

 

 喫茶店のトイレでタイムスリップできる点も、なにかしらの設定があって今後その謎が明かされるのだろうが、きっとSFマニアが納得する内容ではなく、エクスキューズ的に粗い設定がつけられるだけだろう。

 

 だが、SF設定がグダグダだからダメだと言いたいわけではなく、むしろ逆。本作のような作品では、それが “正解”。

 

 複雑な設定を作るより、コント的な粗い設定のほうがシンプルでわかりやすくなり、“昭和と令和の価値観の違いを笑う” という主題に没入しやすくなるからだ。

 

 違和感やツッコミどころは多々あるが、そんな細かいことはどうでもよくなるぐらい、豪快なおもしろさがある。

 

 綿密な設定を作り込むことや、ストーリーに整合性があるかどうかが重要な作品もあるが、いくら設定が作り込まれていたとて、単純にそのお話がおもしろくなければなんの意味もない。

 

 逆に、設定がグダグダでも純粋におもしろければ、それが正義。

 

 ――脚本家・宮藤官九郎のセンスが惜しみなく発揮されている『不適切にもほどがある!』。今夜放送の第5話以降も昭和と令和の違いで爆笑をかっさらいつつ、粗くグダグダなSF設定の謎に翻弄され、視聴者の考察に拍車がかかることだろう。

堺屋大地

恋愛をロジカルに分析する恋愛コラムニスト・恋愛カウンセラー。これまで『女子SPA!』『スゴ得』『IN LIFE』などで恋愛コラムを連載。現在は『文春オンライン』『現代ビジネス』『集英社オンライン』『日刊SPA!』などに寄稿中

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