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NON STYLE・石田、貧乏育ちでつちかった生きる知恵…給食持ち帰りで夕食 “補填” するも栄養不足?デコピンで指を粉砕骨折の過去
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2024.10.28 11:00 最終更新日:2024.10.28 11:00
10月19日に配信されたYouTubeチャンネル『鬼越トマホーク喧嘩チャンネル』に、NON STYLE・石田明さんがゲスト出演していました。
MCの鬼越トマホーク・金ちゃんから、「子供のころは体が弱かったと聞いたんですけど」と振られた石田さんは、「デコピンが強いって高校のときに有名になってさ。めちゃくちゃデコピンさせられてん。罰ゲームで『石田のデコピンです!』みたいな」
友達の遊びのなかの罰ゲームのアイテムとして石田さんのデコピンが使われ、「俺がデコピンをずっとやってたら、疲労(骨折)やと思うけど、ここ(中指)を粉砕骨折してさ(笑)」と明かしていました。
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筆者も以前、子供のころから体が弱かったというお話を石田さんからお聞きしています。
「内田君という、僕と見た感じまったく同じ体型の友達がいたんですけど、体重計に乗ったら僕のほうが5キロ少ないんですよ。『見た目一緒やのにおかしいな』って。それでいろいろ調べていくと、骨の密度とかが足りてなかったんです」
石田さんがデコピンで骨折してしまったのは、骨密度が低かったことが原因かもしれません。さらに石田さんは、子供のころに水分を摂れていなかったと言います。
「僕は貧しく育ったんで、あんまり水分を摂る習慣がなくて。ご飯もあまり食べる習慣がなくて……」
水分を摂る習慣がなかったというのは、昔ならまだわかりますが、ご飯を食べる習慣がないというのは聞いたことがありません。
「(石田家の)夜ごはんと朝ごはんはあまり期待できなくて、昼の給食頼みだったんです。でも、給食もおなか一杯にして胃のサイズが給食にあってしまうとつらいので、給食を残して家に持って帰って。それで夜ごはんのときに食べていました」
小学生にして、給食の一部を夜ごはんに回すという考えは、計画性に優れ、立派です。
「僕は4人兄弟の末っ子なんで、兄貴たちからノウハウを全部教えてもらいました。『明、つらいぞ!』って(笑)」
裕福ではなかった石田さんは、お兄さんたちからのお下がりも当たり前でした。
「中学に入ったとき、リコーダーあるじゃないですか。リコーダーって1カ所、2カ所、3カ所とつなげるじゃないですか。僕、全部色が違ったんです。
姉ちゃんのおさがりのリコーダーが吸う部分しかなくて、兄貴のも1カ所しかなくて、結果全部寄せ集めになってしまったんです。それでバカにされて、一時『3色リコーダー』って呼ばれてました(笑)」
子供のころの辛かった思い出も、大人になって笑いに昇華できる芸人という仕事は素敵ですね。
1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している。
( SmartFLASH )