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日本の「野菜」を救うには…「マーケットイン型農業」の隙間を狙え

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2022.09.03 16:00 最終更新日:2022.09.03 16:00

日本の「野菜」を救うには…「マーケットイン型農業」の隙間を狙え

 

 海外旅行に行くと、開発途上で農業の盛んな国でも、スーパーの店頭にジャガイモや人参などの基本野菜の輸入品が並んでいるのを見かけます。現代の流通システムが要求する物量と品質管理に対応できる国内農業を育成するよりも、輸入に頼った方が手っ取り早いからです。

 

 翻って、日本の農業は、大きな国内市場に守られて、長い時間をかけて均衡発展してきました。畜産飼料や小麦、油脂など大きく輸入に頼る品目もあるために、生産額ベースの日本の自給率は67%にとどまります。が、基本的には全国各地で、様々な農産物を国内生産することができている豊かな国です。

 

 

 もちろんそれは保護政策に守られてガラパゴス化したからですが、それでも国際分業の中での得意な品目への選択と集中を余儀なくされた国々に比べれば、フルセット型の農業を維持できていると捉えられます。

 

 この先、非効率的な産業構造を現代のフードバリューチェーンに適合するものにバージョンアップできなければ、日本の農業はさらに弱体化し、輸入の野菜が増えていくでしょう。

 

 現実に、野菜の国内需要の2割は輸入で賄われています。とりわけ加工・業務用では全体の3割以上を輸入に頼っています。国内生産のポテンシャルが十分にある人参、玉ねぎ、かぼちゃなどの基本野菜が輸入されているのです。人参を例に取ると、国内生産量の約半分に相当する30万トンが輸入品で、その3分の1は生鮮品です。

 

 加工業者や小売業者が国産を使いたくても、加工需要のロットと品質に対応できる国産の供給がない場合も多いのです。やむなく、加工業者が農業生産に乗り出すケースすらあります。農家の多くが「野菜が売れなくて困る」と言う割に、ニーズに応える生産ができていないのです。

 

■淘汰の時代の影 集約によって損なわれるもの

 

 フードバリューチェーンの中で農業は集約に向かいます。では、その大きな流れの中で損なわれるものと、小さな農業が生き残るための策を考えましょう。

 

 私は台湾を何度も訪れています。とにかく食にうるさい人たちの国だけあって、台北でも高雄でも、高級レストランから屋台まで、どこでも美味しいご飯が食べられます。もちろん野菜もとても美味しい。味や食感がくっきりしていて、優しい味付けの台湾料理の中で引き立ちます。台湾の料理は塩気が薄いので、野菜に旨味があることが重要なのがよく分かります。

 

 食材を見に各地の市場に赴くと、頭から湯気が出るような人々の活気の中で、びっくりするほど状態のいい野菜がぎっしり裸で並べられています。日本では地方の朝市などにしか残っていない、地場流通の良さが、ものにも人にも表れています。

 

 ところが、街中にある外資系の大手量販店の青果コーナーを覗くと、違う様相です。日本と同様に野菜は産地や栽培方法の認証シールが貼られたフィルム袋に入れられ、整然と並んでいます。そして、総じてものが良くない。収穫してから日数が経っているのが分かるし、いろいろな人に触られてつやがなくなっています。市場の野菜の色気がまるでないのです。食にうるさい台湾でもこうなってしまうんだ、とショックでした。

 

 これが、農業の産業化の負の側面です。日本でも、大きなロットを動かす量販店では、商品の差別化や幅広い品揃えよりむしろ、安定した価格で、説明無しで売れていくものに品目が絞り込まれがちです。生産も流通もそこに向けて適応するので、品目の選択はもちろん、栽培時期や品種も、店頭で売れるものに収斂していきます。

 

 たとえば、出荷調整に手間がかかるほうれん草は、複雑な美味しさよりも、茎が絡みにくく袋詰がしやすいという出荷作業の都合や、店頭で映える濃い色の品種が重視されるようになります。量販店での安定供給という出口が決まってしまうと、品種・包材・物流などに関わるビジネスのすべてが「売れ筋」に寄っていってしまうわけです。

 

 フードバリューチェーンに組み込まれるということは、連なる鎖全体のモノサシに身を委ねることを意味します。もちろん、だからこそ、ビジネスとしてのスケールアップが可能になるわけです。

 

 日本では、1990年代以降、コールドチェーンと呼ばれる冷蔵輸送体系が整備されたことで、野菜を含む生鮮品の長距離輸送が可能になり、供給体制が広域化しました。そのおかげで、全国どこでも、いつでも、スーパーで基本野菜を買える食生活の豊かさが実現しました。

 

「昔の食生活の方が豊かだった」と言う人もいますが、それは記憶が美化されているだけ。タイムマシンで1980年頃の量販店を覗いてみたら、その貧弱な品揃えに驚くはずです。

 

 食料品の広域流通と、食の多様化は、農業全体がそれまでよりも「売れる野菜」に向かうことを加速しました。種苗会社の品種開発も、明確にマーケットを意識したものに変わってきています。

 

 その結果、たとえばトマトは嗜好品化してやたらに種類がある一方で、台湾の市場で売られているような癖のあるマイナーな野菜が流通に乗らなくなるという事象も起きています。

 

 これが、識者が口を揃えて勧める「マーケットイン型農業」の弱点です。業界全体がプロ化して「みんな大好き」な方向に寄っていくと、ある種の素人農業の良さが損なわれるのは当然の帰結です。

 

 農業技術の専門教育すら受けていない家族経営が長く続いてしまっていることは、日本の農業の弱点です。一方で、産業の集約によって「専門家の戦略経営」ばかりになると、必ず死角が生まれます。

 

 高雄の市場で売られている地場のA菜(炒めものに使われるロメインレタスの仲間)は、足が早く、広域流通にこそ向かないものの、旅行者である私が目を奪われるほどの素晴らしいものです。大きな流通の中でこのような野菜が扱われることはありません。

 

 私が個人的にどういう野菜が好きかと聞かれれば、台湾の市場で売られているような、くっきりはっきりキトキトなものが好きに決まっています。一方で、それが様々な意味で大きなビジネスになり得ないことは自明です。それは逆に言えば、経営の王道を行く農業の担い手たちが手を付けない「隙間」があることを意味します。そこにこそ小さなプレイヤーの活躍の余地があるのです。

 

 業界の変化によって失われるものをカバーするのは、小さなプレイヤーの仕事です。どんなに儲かっても、他人と同じことをするのはつまらない、と考える農業者はたくさんいるはずです。そのような、よそ者や変わり者が発揮する力、いわば素人のダイナミズムが、地域や業界全体を面白くし、特定の顧客層を満足させるのです。

 

 

 以上、久松達央氏の新刊『農家はもっと減っていい~農業の「常識」はウソだらけ~』(光文社新書)をもとに再構成しました。大淘汰時代の小さくて強い農業とは?

 

●『農家はもっと減っていい』詳細はこちら

( SmartFLASH )

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