■作者の先見性と未来予測のたしかさ
「映画ではよくわからなかったけど、原作を読んでようやく謎が解けた」。そういうことはよくあります。小説を映画にする場合、上映時間などの関係で、細かい描写やストーリーを削り落としてしまうことがあるからです。
しかし、『ドグラ・マグラ』は真逆。原作を読めば読むほど、さらにわけがわからなくなってくるのです。というか、読めば読むほど混乱がひどくなる。まさにそれが本作の最大の特徴であり、最大の魅力。夢野久作が仕掛けたトリックのもたらす混乱です。
一例を挙げると、小説の冒頭に、正木教授が提唱する「脳髄論」なる理論が登場します。
〈脳髄は「電話交換局」に相当する。つまり、人間の意識や感覚、そして思考といったものは全身の細胞それぞれが独自に行っており、脳髄というものはただ単純に、その細胞の意識や感覚を反射し交換する仲介機能を持つ存在に過ぎない~〉
この文章ひとつとっても混乱を招きますが、当時私は心理学や精神世界の本を夢中になって読み漁っていたこともあり、卒業論文として「脳髄論」を書いた正木教授と、自分がオーバーラップしました。「心はどこにあるのか?」その問いかけは、精神医学に興味を持ち始めていた私には非常に深く刺さったのです。
正木教授が始めた先進的な「解放治療」のくだりも衝撃的でした。精神疾患患者の「収容施設」でしかなかった精神病棟を「治療の施設」へと変貌させるというのです。今では当たり前の話ですが、夢野が執筆を始めた大正15 (1926)年当時に「精神病棟の解放」を描いたのは画期的、先駆的といえるでしょう。
さらには、一度入れられたら死ぬまで出られない当時の精神病棟の恐ろしさが、正木教授が歌う祭文の形で延々と数十ページも綴られます。
〈スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ~〉
そんなまったく意味不明の阿呆陀羅経も、よく読んでいくと、精神疾患の患者に対する閉鎖的処遇や差別の実態を、ユーモアたっぷりに告発していることがわかります。
『ドグマ・マグラ』は、娯楽小説やミステリーの形式をとりつつ、現代にも通じる形で精神医療における差別、スティグマ(烙印)の問題を炙り出している。そこに、あらためて夢野久作の先見性と未来予測のたしかさを感じます。
■精神医療に一生かけて取り組む!
精神疾患の深い闇を描いた『ドグマ・マグラ』ですが、そこに救いがあるのかというと、小説を最後まで読んでも、映画を最後まで観ても、「全然救いがない」と感じる人は多いでしょう。しかし、私の感想は、まったく逆でした。
精神疾患や精神医学には、未知な部分、不可知な部分がたくさんある。それだけ解明の余地がたっぷりあるということ。進路に迷っていた私は、学問の点からも、治療法の点からも、そこに無限の可能性を感じたのです。
小説『ドグマ・マグラ』の最後のページを読み終わった直後に、私は思いました。精神疾患の患者を治療するのは、たいへんなことだろう。しかも、そう簡単には治らないことも多い。だからこそ、やる価値がある。
私が一生をかけて取り組むべき分野は、精神医学しかありえない! そこに、少しでも「光」を当てられたら、どんなに素晴らしいだろう! と。こうして、精神科医・樺沢紫苑が誕生したのです。
最後まで読むと頭がおかしくなるといわれる『ドグラ・マグラ』ですが、幸いというべきか、私はそうはなりませんでした。
いや待てよ……。「情報発信によってメンタル疾患を予防する! 日本のメンタル疾患患者を減らす! 日本の自殺者数を減らす!」 と誇大妄想的なことを言い続け、8年間、毎日YouTube動画をアップ、かれこれ4000本を超える動画を配信し続けている。こんなことが、正気の人間にできるのでしょうか? 私は、どうやら “ドグラ・マグラの世界” に足を踏み入れてしまったのかもしれません。
かばさわ・しおん
樺沢心理学研究所代表。1965年、北海道札幌市生まれ。札幌医科大学医学部卒。YouTubeチャンネル「樺沢紫苑の樺チャンネル」やメルマガで、累計60万人以上に精神医学や心理学、脳科学の知識・情報をわかりやすく伝える、「日本一アウトプットする精神科医」として活動
イラスト・浜本ひろし