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「婦唱夫随」で醸造されるまろやか日本酒、決めては木曽の水
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2019.03.16 16:00 最終更新日:2019.03.16 16:00
「日本で最も星に近い酒蔵」は、木曽街道沿いの山深き地にあった。
JR中央本線の藪原駅は、各駅停車しか止まらない小さな駅。駅のホームに降りた瞬間、空気自体が澄み清冽な森の香りに包まれる。
そこから宿場町の面影を残す旧街道を歩いて15分ほどで湯川酒造店に到着する。
蔵の建物は県道26号線側から見ると3階建てのビルに見えるが、旧街道側では、昔のたたずまいを彷彿とさせる格子戸と雪の残った屋根、そして大きな杉玉が迎えてくれた。
16代目蔵元の湯川尚子さんは、この地に生まれて物心つく頃から蔵元の娘として育ってきた。
「おかれた環境に対して、ありのままに受け入れてここまで来た感じです」(湯川さん)
蔵で何を作っているのか、どういうふうに日本酒が醸されているのかに興味を持ち、自然と蔵を継ごうと考えるようになった。
「日本酒の造り方を知るというよりは、『私たちが作っているものの中身を知らなければ売ることはできないよね』という思いの方が強かったです」
東京農大の醸造科に進学し醸造学を学び、製薬会社勤務を経てから2005年に木曽の地に戻り、蔵人として下働きから酒造りに邁進した。
しかし、杜氏が手取り足取り、若い女性蔵元に指導するような時代ではなかった。当初は酒造りのことを聞いてもはぐらかされるようなことも多かった。
さらに、先代の寛史さんが2011年に急逝。尚子さんは急遽、蔵元として経営および酒造りの陣頭指揮に当たることになった。
そのあたりの苦労は『蔵を継ぐ』(山内聖子著)という本に詳しい。
「そんなに苦労した思いもないのですが(笑)」
しかしそれをおくびにも出さず、いま醸している酒について語る尚子蔵元の表情は柔らかい。
木曽谷の清らかな水のおかげか、湯川酒造店で醸される酒は、搾った直後でも柔らかくまろやかだ。現在、湯川酒造店のブランドは「十六代九郎右衛門」と「木曽路」の2本柱。
「十六代~」は尚子さんが蔵元に戻ってから立ち上げたブランドで、甘みと酸味が調和した優美さがある。そして、「木曽路」は米の旨みを引き立たせた厚みのある味わいが特徴だ。どちらも、木曽の酒として大切に育んできた銘柄だ。
現在は、夫の慎一さんを杜氏として酒造りを統括する。小谷杜氏の技術を学んだ尚子さんは、今後、会社経営をしながら麹屋として酒造りに携わるスタイルとなった。
慎一さんは諏訪杜氏の流れを汲む長野の別の蔵で働いていたが、縁あって尚子さんと結婚。今は木曽の地で杜氏となって酒を醸す。
「社訓」について聞いてみたが、尚子蔵元はしばらく首をかしげた後、「本当に社訓ってないんですよ」と切り出した。
「本当にないんです。先代が何をずっと言っていたかというと、『火事だけは絶対出すな。すべて失うから』と。小さな頃から火の扱いには厳しかったことは覚えています。
実は初めて話しますが、蔵を継いで1年目くらいにボヤを出しているんです。先代は地元の消防団長をやったりして身にしみていたんでしょうね。その先代の思いが身をもってわかり、それから考え方も大きく変わりました」
古い設備の更新など「またあとで考えればいいや」と思っていたことに思わぬリスクが潜んでいる点に、蔵元自身が気づかされたのだ。
その1回のボヤから、造りでも経営でも、気を抜けば一瞬ですべてを失いかねない、という教訓を得た。
「先代も先々代もけっこう短命な家系なんです。370年で16代目。短いスパンで継がれてきているし、その時代時代でできることを精一杯にやってきている人のつながりだから、堅牢な言い伝え的なものは案外なかったんだろうな、とも感じています」
その分、伝統に縛られることなく、自由な発想で酒造りに取り組めるというのは、この蔵の強みなのかも知れない。
尚子さんと慎一さん、それぞれが持っている経験や酒への好み、考え方を融合させておいしい酒を生み出していくのが、湯川酒造店のこれからのスタイル。「婦唱夫随」の二人三脚で、蔵の伝統を守り抜いていく。
堅実に木曽谷に根ざす「星空に一番近い蔵」で働く2人の顔は、いつも晴れやかだ。
<蔵元名>
湯川酒造店(長野県)
創業369年(1650年)
<銘柄>
十六代九郎右衛門、木曽路
長野県木曽郡木祖村薮原1003-1
https://yukawabrewery.com/
<社訓>
絶対に火は出すな