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純名里沙が語る「宝塚から朝ドラに出て困ったこと」

芸能・女子アナ 投稿日:2017.05.01 06:00FLASH編集部

純名里沙が語る「宝塚から朝ドラに出て困ったこと」

 

『ぴあの』に出たきっかけは、宝塚歌劇団から「(オーディションを)受けますか?」と言われたんです。入団してちょうど3年め、将来どうなっていくのだろうと考えていた時期で、なんだか面白そうだと思ったんですね。

 

 オーディションのカメラテストの特技披露では、何をやっていいのかわからず、ミュージカル『ウエストサイド物語』の『トゥナイト』を熱唱しました。

 

 ありがたく受かったのはいいんですが、それまで映像作品には出たことがなく、劇場の3階席の奥まで届くような声の出し方では、お芝居としてはまったく通用しませんでした。

 

 相手がいることを想像して、目線をカメラに作って話すとか、初めてのことだらけで最初はいろいろと戸惑いましたが、すべてが新鮮で楽しかったです。

 

 また、本当にありがたかったのは、共演者の方々やスタッフの皆さま全員が、ヒロインのこのコをなんとかして育てようと、心から大切に愛してくださったこと。

 

 ドラマ以外のことでも、初めてのエステを教えてくださったのは母と長女の2役をされた竹下景子さんでしたし、次女の萬田久子さんにはいいお化粧品を教えていただいたり、ご自宅に泊めていただいたり。三女の国生さゆりさんには共演経験のない「男性」の手のさわり方をご伝授いただきました(笑)。お父ちゃん役の宇津井健さんはじめ楽しい方々ばかりで、とにかく現場はあたたかかったです。

 

 もちろんありがたいことに、反響も大きかったですね。皆さん親近感を持ってくださっていて、街を歩いていても、「ぴあのちゃん、観てるで」と背中を叩かれたり。

 

 結局、宝塚は1年お休みすることになりましたが、私は舞台が好きで宝塚に戻る気満々だったので、セットの後ろで脚を上げたりして運動不足を解消してました。

 

 そうして劇団に戻ったら、所属する組が変わっていて、いただく役も大きく注目度も上がっていて……、復帰舞台は足がガクガク震えました。図太く見えてたようですけど、そうじゃなかったんです(笑)。

 

 でもこんな素晴らしい経験も、宝塚歌劇団に居たから挑戦できたわけで、宝塚には本当に感謝しています。

 

■この5年、歌手活動に専念したわけ

 

 この5年間は、ずっと歌手活動に専念していました。東日本大震災を目のあたりにして、価値観が大きく変わりました。悔いのない生き方をしていきたい、と思うなか、退団以来、ちゃんと向き合う時間がなかった大好きな歌に今こそ向き合いたいと、私の耳が好んで聴いていたギタリスト、笹子重治さんのところに、オーディションをしてくださいとお願いしに行ったのです。

 

 そしていろんな場所で経験を重ね、その結果として、アルバム『Silent Love』をリリースすることができました。素晴らしいスタッフさんにも恵まれ、すべての出逢いに感謝しかありません。オーケストラとではなく、ギター一本とのデュオですから、いままでのイメージとは違う歌唱法も学びました。このアルバムは、ぜひたくさんの方に聴いていただきたいです。

 

 今年からは歌手活動に加えて、女優活動も再開させようと思っています。ミュージカルにもぜひまた挑戦したいですし、次のアルバムもどんなコンセプトにしようか今考えている最中なんですよ。ぜひ、一度、今の私を観に、聴きに来ていただきたいです!

 

じゅんなりさ

 宝塚歌劇団を退団後、女優、歌手として幅広く活躍。現在、ギタリスト・笹子重治とのアコースティックライブを全国で開催。TOKYO FM『ありがとう、先生!』や、NHK Eテレ『リトル・チャロ』でチャロ役を好演中

(増刊FLASHダイアモンド2017年4月28日号)

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