「岸田さんが総理になってしばらくして、安倍さんから『岸田さんはやりにくくないですか?』と話しかけられまして。
私は『安倍さんと違って岸田さんは聞く力がある』と言ったら、『いや、彼は野党の意見を聞いてるように見えて、全然聞いてないんだよね』と(笑)。この安倍さんの岸田評は、ある意味当たっています」
●「やっぱり自民党と共産党で対決するのがいいよね」に仰天
安倍氏と最後に交わした会話も、やはりエレベーターの中だったと振り返る。
「参議院選挙前の国会が終わりに近い時期だったと思います。エレベーターで一緒になり、『やっぱり自民党と共産党で対決するのがいいよね』と言ってきたんですよ。
それは当時、立憲(民主党)が提案型になっていて、与野党の対決の構図が崩れていたこともあると思います。やはり安倍さんから見れば、自民党の政策路線上の対立者というのは日本共産党だという認識だったと思いますね。
そのときは、自民党のほかの議員の方も一緒に乗っていて、皆さん驚いた様子でした。安倍さんが降りた後、ある自民党の議員の方が、『すごいお誘いだね』と声をかけてきました(笑)」
政治家として対極に位置する安倍氏とは、どのような存在だったのか。
「私たちからすれば、もっとも遠いタカ派的な位置づけでした。自らの考えを実行するために、憲法解釈を一内閣の閣議決定で変えてしまう。しかも、そのために内閣法制局長官の首まですげ替えるということをやったわけです。
よく、立憲主義を破壊したといわれますが、非常に強権的な方だったと思いますね。政治家としてやられたことの多くは、評価できません。たとえば日露領土交渉でも、日本政府の従来の立場は『北方四島は日本固有の領土であり全島返還』でしたが、安倍さんはプーチン大統領と二島返還でいいかのような交渉をして、負の遺産を築いたと思います。
人の死は悲しいことですが、その検証を忘れてはいけません」
写真・長谷川 新、共同通信