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ヒグマが投げた弟は11メートル上の枝で見つかる…「渡り鼠」の年に馬を食い荒らした凶暴熊【択捉島ヒグマ事件】

社会・政治 投稿日:2023.05.06 06:00FLASH編集部

ヒグマが投げた弟は11メートル上の枝で見つかる…「渡り鼠」の年に馬を食い荒らした凶暴熊【択捉島ヒグマ事件】

北海道にのみ生息するヒグマ

 

 北海道にのみ生息するヒグマ。北海道開拓の歴史は、この猛獣との戦いによって進展してきたと言ってもいいだろう。環境省の報告によれば、ヒグマによる死亡事故は、1980年以降15名。2008年の3名をピークに、数年おきに1〜2名が犠牲となっている。

 

 しかし、かつては1頭のヒグマが複数の人間を襲って死に至らしめる事件が続発した。改めて凄惨な事件の経緯を振り返ってみよう。

 

 

 

 択捉島は、ヒグマの棲息数が多いことで知られる。

 

 昭和12年(1937年)7月14日付の朝日新聞に、直良信夫氏による「羆 南千島、谷無所川漁場の話」が掲載されている。ヒグマの生態が生々しく描かれていて非常に興味深いので、以下に抄出してみよう。

 

 択捉島の谷無所川はツリップ山を源流とする、サケ・マスが遡上する川である。ある朝、漁場に行こうと馬小屋の扉を開けると、反対側の窓が破壊され、なかがひどく荒らされていた。もちろん馬の姿も見えない。

 

「やられた!」

 

 弟を起こし、急いで外に出てあたりを見ると、ほどなくして、裏山の谷を下りていく恐しいものを目撃した。

 

《大きな羆(ひぐま)が自分の愛馬の左肢を左肩にかけ、頭部を右の前肢で抱きすくめ、羆自身は後肢で立つてよちよち歩いていくではないか。しかもよく見ていると、まだ馬は半死半生のようだった。

 

 羆は馬が後肢で歩かなくなると、右の前肢でぐつと馬の頭を締め、馬がそれにこらえきれないで後肢で蹴ると、そのはずみで調子をとつては前進していた》

 

 2人は迂回して、ヒグマを遮ろうとした。しかし、河原でその姿を発見したときには、馬はすでに頭を食べ尽くされていた。ヒグマは得意そうに手のひらを舐めていたが、そのうち残りの胴体を穴を掘って埋め始めた。貯食のためらしい。

 

 ヒグマは2人に気づいて襲いかかった。鉄砲で応戦する間もなく、2人は樹上によじ登って難を逃れた。ヒグマが力任せに木を揺さぶったので、生きた心地がしなかった。

 

 そのうち、ヒグマは別のことに関心を向け始めた。

 

《この島には所々にエゾ松の枯葉をあつめて作った『ロシア蟻』の塔があった。羆はそれを見つけ出すと、早速その塔を破壊して、驚いて逃げ惑う蟻を、まず自分の毛深い体や肢の中に誘い込んだ。

 

 彼の毛には、この蟻の大好物である野ブドウやガンコウランの果汁が沢山塗りつけられていたので、蟻はそれに魅せられて集まって来たのだった。羆は満足げにそれらの蟻を食べはじめた》

 

 これに満足した羆は、樹上の2人のことなどすっかり忘れて林の中に消えてしまった。2人はほうほうの体で漁場に帰り着いた。

 

 ――すると漁場は「渡り鼠」で大騒動になっていた。「渡り鼠」に関しては後述するとして、この鼠の大群を追い散らし、ようやく家に帰り着くと、今度は台所に積んであった米俵28俵がなくなっていた。

 

 てっきり盗人にやられたと思い付近を探し回ると、30間(約54メートル)離れた畑に積み上げられていて、その脇でヒグマが長々と寝そべっていた。漁場にとって返して若衆を駆り集めるも、ヒグマの姿はすでになく、手広く捜索したが、ついに見つからなかった。

 

 あきらめて一服つけているうちに、不覚にも眠ってしまった。気がつくと、隣に寝ていたはずの弟がいない。何気なく頭上を見上げると、地上から6間(約11メートル)はあろうかという木の枝に、俯せに引っかかっている男の姿を見つけた。

 

 驚いて引きずり下ろしてみると、件の弟であった。「寝ていた隙にヒグマにひっかかれて、放り上げられたまでは覚えていたが、それから先は何もわからない」と話したという。

 

 後日、木につないでいた馬を狙って姿を現したヒグマが、《ガアンと一撃、馬の頭をなぐって》、これをかついだまま崖を降りようとしたところを、「今度こそは」と引き金を引いた。

 

 すると《どんと一発、羆の耳の後方でパッと毛が散った。同時に二つの黒い影が、崖から眞逆さにころげ落ちた》。この巨グマは、夏のはじめ、谷無所川の上流で撃ち取った子連れの夫婦グマの生き残ったオスであることが、後に判明したという。

 

 ところで、文中で気になった方も多いであろう「渡り鼠」である。直良氏の記事では次のように描かれている。

 

《この鼠は夏の終りになると何百万頭といわれる程の大群が、樺太やカムチヤツカの方から島伝いに移動して歩く旅鼠であって、(中略)沖をみると鼠で海面が黒く盛り上がっており、浜は足の踏み場のない程、鼠で埋まってしまった》

 

 ネズミの大群が海を渡る現象は、内地でも報告されている。昭和24年、愛媛県宇和島沖の戸島に、何十万匹ものネズミの大群が上陸し、島が占拠されたという記録がある。このネズミ騒動は、吉村昭が小説『海の鼠』の題材にしている。

 

 古い記録では『古今著聞集』に『伊予国矢野保の黒島の鼠海底に巣喰ふ事』(巻第20)の一節がある。柳田国男は、60年に1度、花を咲かせ実を結ぶ地竹の周期との関連を指摘している(『海上の道』)。竹の実がなる年に大繁殖するが、翌年には一転して大飢饉となり、窮乏したネズミの大群が、エサを求めて渡海するのだという。

 

 竹の開花は、モウソウチクが67年、マダケは120年の周期で、昭和40年代に全国で記録されている。

 

中山茂大
1969年、北海道生まれ。ノンフィクションライター。明治初期から戦中戦後まで70年あまりの地元紙を通読し、ヒグマ事件を抽出・データベース化。また市町村史、各地民話なども参照し、これらをもとに上梓した『神々の復讐 人喰いヒグマの北海道開拓史』(講談社)が話題に。

( SmartFLASH )

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