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【関東大震災100年】「地盤リスク」「地下ガス爆発」次の首都直下地震で識者が警告する「想定以上の危機」

社会・政治 投稿日:2023.09.02 06:00FLASH編集部

【関東大震災100年】「地盤リスク」「地下ガス爆発」次の首都直下地震で識者が警告する「想定以上の危機」

関東大震災直後の東京・丸の内の惨状(写真・共同通信)

 

「過去に、大地震の後に関東地方に起きた直下地震の例に照らし合わせれば、いまは“起きるはずの地震”が起きていない時期です」

 

 そう警鐘を鳴らすのは、東大地震研究所の元准教授で、地震津波防災戦略研究所の都司嘉宣(つじ・よしのぶ)代表(理学博士)だ。

 

「現在、懸念されている大きな地震は、M8以上の海溝型地震である『南海トラフ地震』と、M7クラスの『首都直下地震』です。これらの震源は違いますが、どちらが先に起きてもおかしくありません」

 

 

 首都直下地震に関連しているのは、2011年の東日本大震災だという。

 

「東日本大震災は、869年に起きた貞観三陸沖地震と同じ場所で起きていますが、このときはその9年後の878年に、関東直下地震が起きています。推定マグニチュードは7.4で、関東地方南部に大きな被害を出しました。三陸が揺れた約10年後、関東で直下地震が起きたわけです。いまは、東日本大震災から12年たっていますが、まだ危険時期は過ぎ去ってはいません」(都司氏)

 

 一方の南海トラフ地震も、そろそろ起きる時期に差しかかっている。

 

「今回の『被害想定』によれば、南海トラフのM8~9クラスの巨大地震が30年以内に発生する確率は、70~80%とされており、私も正しいと思います。南海トラフ地震は、過去に1707年、1854年、1946年と、およそ100年間隔で起きています。あと30年以内に発生する可能性は高いと思います」(同前)

 

 2022年、東京都知事の附属機関・東京都防災会議が「首都直下地震等による東京の被害想定」を発表した。

 

 さまざまな地震をシミュレーションするなか、防災会議が今回、もっとも大きな被害を想定したのが、M7.3の「都心南部直下地震」。建物被害がじつに19万4431棟、死者は6148人と想定されている。「被害想定」を精査した都司氏は、こう語る。

 

「被害の想定数は、おおむね正確だと感じました。ですが、より深刻な倒壊被害が起きる可能性を見積もっておくべきです。私が東京でいちばん危ないと考えるのは、東京駅と皇居の間です。ここは『日比谷入江』と呼ばれていた内湾で、江戸期に入るころに埋め立てられました。丸の内、日比谷公園、二重橋前駅はかつて浅瀬の海で、現在の新橋が湾口で、北端は大手町のあたりまで広がっていました。また、神保町、水道橋駅周辺、小石川後楽園にかけても、川筋を埋め立てた線に当たり地盤が弱く、大正12年の関東大震災では、ここがいちばん被害が大きかったんです」(同前)

 

 江戸時代に埋め立てられたこれらの地域は、地震の揺れによって液状化する可能性があるのだ。

 

「官公庁が集まっている地域は、江戸城を築く際に埋め立てた場所です。江戸城の近くには、幕府に近い親藩や譜代大名の屋敷が集中しており、1855年の安政江戸地震では、多くの死者が出ました。現在の日比谷公園の場所にあった南部藩の屋敷の被害が、もっとも大きかったとされています」(同前)

 

 江戸時代に埋め立てられた場所はいずれも地震に弱く、大きく揺れることが想定されている。

 

「『被害想定』では、お台場や月島、築地、佃などが大きく揺れるとされています。足立区や葛飾区の金町あたりや、世田谷区の等々力渓谷周辺、大田区の河川近くは危険でしょう。活断層に近く、液状化しやすい地域では、一瞬で家屋がつぶれて、逃げられないんですよ。阪神・淡路大震災や、熊本地震のときに道路の定点カメラに映しだされた家屋は、揺れはじめてからわずか数秒で全壊していました」(同前)

 

 阪神・淡路大震災では、約6400人が亡くなったが、都心で直下地震が起きた場合、「想定されている死者数、6148人を大きく上回る可能性がある」と都司氏は語る。

 

「家屋の倒壊数は集計されていますが、何秒で倒壊したかというデータはないんです。実際の死者数は、大きく変わってくると思います」

 

 関東大震災では、火災によって多くの犠牲者が出た。大きな被害が出たのが下町だ。

 

「関東大震災では、浅草区(現在の台東区の一部)の96%が焼失しました。しかし、その後も反省を生かせず、家が建つにまかせた地域があります。人気のエリアですが、杉並区の高円寺や阿佐谷、荻窪などは古い家屋や店が密集しており、道も碁盤の目ではなく、葉脈のように細い路地が入り組んでいます」(都司氏)

 

 地震による炎は、意外な形で燃え上がる。信州大学の榎本祐嗣名誉教授が語る。

 

「東京都心部の地下には、日本最大の『南関東ガス田』があります。主成分のメタンガスは無色・無臭で、空気に5%混入しただけで、火気にふれると爆発する可能性があります。メタンは軽く、地下水と一緒に地表近くまで上がってくることがあります。『上(うわ)ガス』と呼ぶ現象で、江戸川区や江東区など、東京の低地でも起きています」

 

 かつては東京でもメタンを採掘していたが、地盤沈下が問題になり、1972年以降は停止されている。

 

「採掘が停止されて50年以上たち、さらに現在の東京の地表は、コンクリートの建物やアスファルトでほぼ塞がれています。ガスは溜まりに溜まっている状態です」(榎本氏)

 

 関東大震災では高温の火災が発生したが、榎本氏はある可能性を指摘する。

 

「旧本所区の被服廠(ひふくしょう)跡(現在の墨田区横網町公園)には、約4万人の避難者が集中し、地震から約3時間半たったころに猛火にさらされ、約3万8000人が焼死しました。現在、横網公園には『鉄が熔解した』と説明された、鉄製の震災遺物が野外展示されています。日本橋の丸善本社の鉄骨が飴のように曲がり、三越呉服店ではプラチナが溶けたという記録もあります。いずれも、1500度から1700度の高温の炎にさらされたようです。木造家屋が燃えただけでは、せいぜい1200度です。七輪やかまどの火の不始末が、火災旋風(炎をともなうつむじ風)で燃え広がったというのが定説ですが、金属が溶けるほどの高温になった説明がつきません。私は、上ガスが原因だったと考えています」

 

 地下のガスが地震によって噴出し、引火して一気に爆発した可能性があるのだ。

 

「夜に発生した安政江戸地震では、地面から火が出て、家屋に燃え移ったという証言が複数あります。安政江戸地震と、関東大震災の被害地域は重なっています。しかし、関東大震災は昼間に起きているので、目撃証言がないんです。メタンは目に見えないし、臭わないし、毒性もありません。火災の焼け跡を調べても、メタンの証拠なんて出てきません。だから、見過ごされてきたのだと思います」(同前)

 

 現代も、地下のガスにより、事故が断続的に起きている。2007年に、渋谷の温泉施設で3人が死亡した爆発事故は、汲み上げた源泉中のメタンに引火して起きたものだ。

 

「地震対策では、上ガスのリスクも考えておくべきだと思います。しかも、いまは関東大震災のときとは違って、化学繊維やプラスチック製品など、住宅内に燃えやすい危険な物質がたくさんあります。これらが燃えれば、有毒ガスが発生する危険性があります。いくら“鎧”の外が火に強いといっても、亀裂が入ればメタンは建屋の中に侵入してきます。地震発生から火災が広がるまでの数時間のうちに、山の手など、より安全な地域に避難するべきです」(同前)

 

 9月1日で、関東大震災から100年だ。超高層ビルが建ち並ぶ令和の東京の、板子一枚下は――。

( 週刊FLASH 2023年9月12日号 )

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