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古田敦也「内角を打って好きな外角に投げさせる」絶品の駆け引き【谷繁元信・強打者の弱点の見つけ方】

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2023.01.28 16:00 最終更新日:2023.01.29 13:16

古田敦也「内角を打って好きな外角に投げさせる」絶品の駆け引き【谷繁元信・強打者の弱点の見つけ方】

 

 捕手として2963試合に出場し、デビューから27年連続本塁打のギネス記録、3021試合出場のNPB記録を打ち立てた、元中日ドラゴンズ監督谷繁元信氏。

 

 そんな不世出の名捕手が、これまで対戦してきた強打者・巧打者とどんな駆け引きをしてきたのかを、著書『谷繁ノート』にまとめた。誰も気づいていない弱点をどのように探っていったのか、一部を紹介しよう。

 

 

 

「捕手のリードを打撃に生かす」と言われる古田敦也さん(元ヤクルト)とは、必然的に捕手の私のリードとの「読み合い」の勝負になった。

 

 ここぞという場面では、かなり球種やコースにヤマを張っていると感じた。ヤマを張って合ったときの打撃は素晴らしかった。かなり高い確率でヒットにされた。

 

 古田さんは「ヤマが外れたら仕方ないと割り切った」と聞いているが、ヤマが外れても打ち返す高い打撃技術があった。そうでなければ打率3割を、捕手最多の8回も打てるはずがない。

 

 最初は内角が弱かったように思う。

 

 古田さんに限らず、どんなにいい打者でも「内角のベルトより少し上」を打つのは窮屈だ。バットの芯で打つと大体ファウルになる。それをフェアグランドに入れようとすると、打つポイントを体の近くに置かないといけないので、やはり窮屈な打ち方になるわけだ。

 

 だから、内角球を打つのに、(右)打者は(左)ヒジの抜き方を苦労して覚えるのだ。

 

 古田さんは弱い内角を攻められると思って、最初は内角を「狙い打ち」していたのかもしれない。そのうちにスコアラーから「内角をさばくようになってきた」という報告を受けた。

 

 すると、こちらは内角をボール気味にして、やはり外角を攻めたくなるが、少し甘くなると古田さんが一番打てるところにいく。つまり、最終的に自分が好きな外角に投げさせるために内角を打っておく。そういう上手さ、駆け引きもあった。

 

 外角の変化球打ちにしても、「泳いだな」と思っても、バットの先端に引っ掛けて三遊間を破ったり、センター前に持っていったりする上手さがあった。

 

 よくプロ野球中継で、野球評論家が「ここは1球内角にいくでしょう」と解説する。みなさんは「内角と外角でそんなに違うのか」と思うかもしれないが、大事なのは「打者が何を求めているか」だ。

 

 たとえば、はじめからシングルヒットを求めているのなら、打つのが難しいと言われる「外角低目」でもヒットを打てるだろう。だが、少しでも長打を求めるなかで「内角に来るのではないか」と思うと、打者の目から外角低目は遠く見える。

 

「内角高目」と「外角低目」はどんないい打者でも打つのが難しい。だからといって「内角高目」ばかりとか、「外角低目」ばかりを攻めていると、ヒットにされる確率が高くなる。

 

 だからその弱点エリアの打率をもっと下げるために、違うコースに投げるとか、弱点エリアに違う球種を投げるのだ。そこで野球評論家の「ここは1球内角にいくでしょう」という解説になるわけだ。

 

 古田さんを打ち取るリードは、基本は外角ストライクゾーンへの投球の出し入れだった。内角にいくぞいくぞという餌をまきながら、外角一辺倒で抑える。その逆パターンのときもあった。やはり、古田さんとの対戦はいろいろ苦労した。

 

谷繁元信(たにしげもとのぶ)

1970年、広島県生まれ。右投げ右打ち、176センチ・81キロ。島根・江の川高校(現・石見智翠館高校)卒業。1988年、ドラフト1位で横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNA)入団。2002年、中日ドラゴンズに移籍。2014年からはプレーイング・マネジャーを務め、15年限りで現役を引退すると、翌年から専任監督に。通算成績は2108安打、打率.240、229本塁打、1040打点。通算3021試合出場は日本記録、捕手として2963試合出場は世界記録。ゴールデングラブ賞6回、ベストナイン1回、最優秀バッテリー賞4回受賞。オールスターゲーム12回出場。著書に『勝敗はバッテリーが8割~名捕手が選ぶ投手30人の投球術』(幻冬舎)、『谷繁流 キャッチャー思考~当たり前の積み重ねが確固たる自信を生む』(日本文芸社)がある。

 

●『谷繁ノート ~強打者の打ち取り方』詳細はこちら

( SmartFLASH )

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