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坂本冬美の『モゴモゴ交友録』二葉百合子先生ーー師であり、母であり、命の恩人
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2022.11.12 06:00 最終更新日:2022.11.12 06:00
拝啓 二葉百合子様
先生、おはようございます。今日もお元気ですか? 体調は、声の調子は、いかがですか?
早起きした日も、ちょっとお寝坊してしまった日も、毎朝10時、先生との楽しい会話から、わたしの本格的な一日が始まります。
「今日も無事に目が覚めたわよ、冬美ちゃん!」
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明るく弾んだお声で、そんな冗談をおっしゃる先生が、わたしのエネルギーの源になっています。
「昨日は3000歩ほど歩いたから、今日は頑張って5000歩ぐらい歩いてみようかしら」
電話の向こうから聞こえてくる先生のお声に、毎日、元気と勇気と生きる力をいただいています。
「あらまぁ、いきなりどうしちゃったの冬美ちゃん?」
先生の困ったようなお顔が浮かんできますが、もちろんこれには、深~~~いワケがあります。
ーー今回は、二葉百合子先生との思い出をお願いします。
編集部からお電話をいただいたのは、2週間ほど前のことでした。
「え~~~~っ。ありすぎてとても書き切れません」
とっさにそんな言葉が喉から出かかりましたが、天の声、お上からのお達しです。芸能界の端っこにいさせていただいているわたしには、お断わりすることなんてできません。
ということで先生、わたしの独り言に最後までおつき合いください(苦笑)。
先生の大切な代表曲『岸壁の母』を初めて歌わせていただいたのは、小学校5年生のときでした。
お友達のお誕生会で、わたしがお母さん役で、友達に息子さんの役になってもらって。ストーリーもわからず、先生の『岸壁の母』を演じ、歌っていました。
いつだったか、先生にそのことをお話ししたら「まぁ、小学生で珍しいわねぇ」って、笑っていらっしゃいましたが、先生とわたしのご縁は、このときから始まったんだと思っています。
わたしにとって、先生とお会いできたことは、まさしく運命だったと思っています。先生には、数え切れないほどたくさんのことを教えていただきました。
ステージに立つときは、1曲歌うときも、20曲歌うときも同じ気持ちで歌うこと。
どんなときも誠心誠意、心をこめて歌うこと。
聴かせてやろうとか、どうだ上手いだろうと思って歌う歌は、絶対にいい歌には聴こえないということ。
先生が、いつも仰っていた
「芸をかじっちゃいけない」
という言葉は、端っこを少しかじって、全部をわかったような気になっちゃいけない。噛めば噛むほど深い味わいがあり、新しい発見がある。芸にはこれでいいということがない。極めたと思った先に、また新しい道があるものだ……ということなんじゃないかと、わたしなりに理解しています。
そうですよね、先生!?
先生の歌へこめた思いが、お言葉のひとつひとつが、今のわたしには羅針盤のように進むべき道を指し示してくれています。
歌手・坂本冬美にとって、先生は師であり、母であり、命の恩人です。
わたしが先生のお年(91歳ですよ)になったとき、先生のような張りがあり、圧があり、艶もある声が出せるとはとうてい思えませんが、少しでも近づけるように、日々精進を心がけます。
だから先生……いつまでも、お元気でご指導くださいませ。不肖の弟子 坂本冬美より
草々かしこ
さかもとふゆみ
1967年3月30日生まれ 和歌山県出身『祝い酒』『夜桜お七』『また君に恋してる』『ブッダのように私は死んだ』など幅広いジャンルの代表曲を持つ。現在、著書『坂本冬美のモゴモゴモゴ』(小社刊)が発売中!
写真・中村 功
取材&文・工藤 晋