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丸山桂里奈 サッカー、バラエティ、そして結婚を振り返る…第一子には「ゴルフをやらせたい(笑)」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2022.12.04 11:00 最終更新日:2022.12.04 11:00
「小学生のころから来ていて、家族でご飯を食べるときは必ず喜楽というぐらいなんですよ。家族の時間を過ごしてきた大切な場所ですね」
必ず頼むという「五目あんかけ焼きそば」を一口食べると「美味しい!」と、弾ける笑顔を見せてくれたのは元サッカー日本女子代表でタレントの丸山桂里奈。
「麺はちょっとパリッとなってるけど中はやわらかい。具材も大きくて麺とよく絡む感じがいいんです。喜楽はハズレがない。単品でも定食でも何を食べても本当に美味しい。私にとっては “家族の味” なので、本並(健治)さんとおつき合いするようになって、最初に紹介したのは喜楽です。本並さんもすごく気に入ってくれて、『何かご飯食べに行く?』と聞くと『喜楽に行きたい』って言います(笑)」
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美味しそうに食べる彼女の奥の厨房では、店主が忙しそうに中華鍋を振る。
「お店のお母さんもお父さんも家族みたいな存在なので、今の心配は後継者がいないこと。大切な地元の味を残したいので、SNSで探そうかと思って。中華料理店を継ぎたい方がいたらご連絡ください」
丸山がサッカーを始めたのは小学校6年生のとき。
「好きな男の子に地元のサッカースクールに誘われたのがきっかけ。足が速かったので、全員を抜いてゴールを決めたのがめっちゃ快感で、ずっと続けた感じですね」
中学に入学すると読売ベレーザの下部組織、メニーナのセレクションに合格して入団。高校、大学でもサッカー部に所属し、東京電力入社後はサッカー部マリーゼに所属した。
「当時、澤(穂希)さんがアメリカのリーグでプレーしていて、試合やゴール集を観ていたら、日本ではあり得ないぐらいの観客と熱気なんですよ。澤さんはすごいなって思いながら、私もこの舞台でプレーしてみたいと思ったんです」
2009年、マリーゼを退部。アメリカのプロリーグのセレクションを受け、翌年フィラデルフィア・インディペンデンスに入団した。
「通訳をつけるという契約だったんですが、現地に行ったらいなくて。言葉が通じなくてもサッカーができれば大丈夫だと思っていたんですが、そうじゃなかった。入団当初はスタメンだったのに、言葉がわからないから戦術が理解できなくて、まったく試合に出られなくなりました。初めて挫折しました。正直、自分よりもうまくない人が試合に出ているのも、つらくて悔しかったですね」
チームからも日本に帰国したほうがいいと宣告された。翌年にW杯を控えていたこともあり、失意のまま日本に帰国しようとした丸山の決心を変えたのが、同時期にワシントン・フリーダムに所属していた澤の言葉だった。
「『自分でアメリカに行きたいと決めたんだから、どんな状況でも自分が決めたことを最後までやり抜くのが大事』と言われたんです。雑用をやらされて悔しくても、自分で練習を続ければ次に繋がると気づいて。この経験があったからサッカーのレベルもひとつ上がったと思うし、人間的にも成長したと思っています」
2011年のW杯では念願の初優勝を果たす。
「あのときはアメリカでの苦労を思い出して。サッカーをやめなくてよかった。挫折は乗り越えるためにあるんです」