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「一周忌」安倍晋三元総理と“恩師”石井紘基さんの共通点「スタンスは違っても『大きな政治家』やった」【泉房穂の「ケンカは勝つ!」第9回】

社会・政治 投稿日:2023.07.07 06:00FLASH編集部

「一周忌」安倍晋三元総理と“恩師”石井紘基さんの共通点「スタンスは違っても『大きな政治家』やった」【泉房穂の「ケンカは勝つ!」第9回】

安倍元首相の国葬で弔辞を述べる岸田首相。法的根拠が曖昧なまま開催に至り、当日も会場の周りで市民による反対運動が起こった(写真・JMPA)

 

 7月8日で安倍晋三元総理(享年67)が、銃弾に斃(たお)れてから1年。私の中には、今も深い喪失感があります。

 

 私が2003年に衆議院議員に当選したとき、安倍さんは自民党幹事長。エレベーターで一緒になった際などに挨拶程度はしたことがあり、当時50歳手前だった安倍さんは、独特の存在感というか、オーラがありましたね。

 

 

 その後、私は2011年に明石市長になって12年間務めたなかで、2012年から第二次安倍政権が8年間続きました。安倍さんは歴代総理の中でも、地方分権と子ども政策にも熱心やったという印象です。

 

 安倍政権時代に地方自治法の改正がありました。私はもともと、市長選の公約に「中核市への移行」を掲げていたんですが、当時の法律では「人口30万人以上」が中核市の条件で、当時30万人足らずの明石市は中核市になれなかった。それが地方自治法の改正で、中核市に移行することができた。トップの安倍さんの判断のおかげです。

 

 子ども政策で特筆すべきは、2019年10月から始まった「幼・保(幼児教育・保育)の無償化」ですね。これも、安倍さんが子そもを重要なテーマと位置づけて、政策転換を図ったことで実現したんやと思っています。

 

 私と安倍さんの政治的スタンスはだいぶ異なりますが、それでも安倍元総理は「大きな政治家」やったと思う。歴史を作り、そして自ら歴史になった方。安倍さんには政治家として「やりたいこと」があったんやと思っています。最近の政治家は、今の総理にしても、やりたいことがあるのかないのかようわからん。その中で安倍さんは異色。

 

 安倍さんという政治家を語るには、ご自身の生い立ちも重要です。歴史的な人物である岸信介元総理を祖父に持ち、だからこそ自ら政治家になったら、“おじいちゃん”が果たせなかった夢をかなえようとしたのかもしれません。

 

 憲法改正を追求し続け、外交・防衛問題にも強い思い入れがあったのでしょう。それらの分野では、私と考えが一致しないところも多いですが、安倍さんはきわめてクリアに使命感を持っておられた。その意味で、政治家として尊敬しています。

 

 安倍さんの最期は突然でしたが、私の「恩師」も急に世を去りました。民主党の衆議院議員だった石井紘基さんです。石井さんは2002年10月25日、自宅前で刺殺されたのです。

 

 石井さんと知り合ったのは1989年、当時20代の私は、石井さんの著書を読んで感動して手紙を書いたんです。

 

 するとご本人から「会いたい」という返事が来てお目にかかり、初出馬だった石井さんを秘書として応援することになったんです。

 

 仕事を辞めて石井さんのご自宅の近くに引っ越し、毎朝5時半に起きて、彼がマイクを握り、私がビラを配るという日々を送りました。1年ぐらい、雨の日も風の日も街頭に立ち続ける日々を過ごしましたが、結局、当選させることはできなかった。

 

 その後も、私は応援を続けるつもりでしたが、石井さんからは「君はまずは弁護士になれ」と言われました。「地元に帰って弁護士として人助けをして、みんなに請われるようになってから政治家になりなさい。40歳ぐらいでも遅くない」と。

 

 そこで、私は弁護士資格を取り、明石で活動していた39歳のときに、石井さんの刺殺事件が起こったのです。その翌年、40歳で衆議院議員となり、石井さんの仕事も引き継ぎました。石井さんの言葉通り、40歳で政治家になったのです。

 

 石井さんは、「国会の爆弾発言男」と呼ばれ、不正を許さず、どんな強い相手にも向かっていくタイプでした。暗殺の実行犯として、右翼団体代表を名乗る男が逮捕されましたが、事件の真相は今も闇の中です。

 

 謎に迫る手がかりとして、石井さんが持っていた鞄が持ち去られたことがわかっています。石井さんは数日後に国会質問を控えていて、鞄にはその“爆弾発言”のための資料が入っていました。犯人は石井さんの命よりも、資料が欲しかったに違いありません。

 

 結局、事件の真相は解明されないまま2022年10月25日、丸20年を迎えました。当日は、石井さんの娘さんと一緒に議員会館で、石井さんの没後20年を偲ぶ集会を開きました。石井さんの遺志を継いで政治家になった私にとって、事件は今も現在進行形です。

 

 石井さんは殺害される前に、友人にこんな手紙を送っていました。

 

《これ(追及)により、不都合な人はたくさんいますので、身辺には注意しますが、所詮、身を挺して闘わなければ務まらないのが、歴史的仕事ということでしょうから、覚悟はしていますが、それにしても、こんな国のために身を挺する必要なんてあるのかな、との自問葛藤もなきにしもあらずです。》

 

 石井さんは、覚悟を持って不正を追及してはったし、同時に身の危険を感じていたと思います。

 

 私は市長に就任した直後から「思い切った方針転換」という名の予算シフトを進め、その影響で自宅ポストに「殺すぞ」「天誅下る」などと書かれた脅迫文が投函されるようになりました。死んだ昆虫が入ったペットボトルを投げ込まれたこともあります。 

 

 脅迫は気色悪いですが、どこか達観しているところもあった。「やるべきことをやる以上、一定のリスクと隣り合わせなんやな」と。

 

 安倍さんと石井さんには共通点があると思います。それは、政治家としての使命感と、やり遂げるという強い思い。そういうエネルギーに溢れるところが魅力でした。

 

「不惜身命」。石井さんが好んだ言葉です。要は、身を投げ打ってでも世のために尽くす。安倍さんなら「国家のため」、石井さんなら「国民のため」ということでしょうか。私も石井さんの弟子として、この言葉を肝に銘じていきます。

( 週刊FLASH 2023年7月18日号 )

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