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ヒグマはどれほど怪力なのか…明治30年には罠にはまって12トンの重荷を支えたことも

社会・政治 投稿日:2023.09.16 06:00FLASH編集部

ヒグマはどれほど怪力なのか…明治30年には罠にはまって12トンの重荷を支えたことも

北海道にのみ生息するヒグマ

 

 ヒグマの怪力はすさまじいものがあり、たとえば「5寸(約15センチ)ほどの木の幹をへし折りながら迫ってきた」といった恐怖の体験談が、まことしやかに伝えられている。

 

 実際、さまざまな文献に、ヒグマの恐るべき怪力の記録が残されいる。

 

 南極探検で知られる白瀬矗は、明治26年以降の2冬を北千島の占守島で越年し、水腫(壊血病)で死にかけていたところを救助された。その記録のなかにヒグマに関する記述がある。

 

 

《私が占守穴居中、ある日海岸を歩きしに、3間(5.4メートル)余の海馬の死体が漂着して砂上に打ち揚がりてありましたが、その日は処々(ところどころ)跋渉して穴小屋へ帰り、翌日またまた該海岸を跋渉しつつ海馬漂着のところに至りましたが、前日の海馬はありませんから不審に思い、処々捜索しておりますうち、その辺の砂上、頗(すこぶ)る乱雑になって、浜沙がみな掘れてあるから、その有様をよく熟視すると例の剛熊の仕業ということがわかりました、その辺浜沙の掘れてあるのは奴の足跡です、それより漸々(ぜんぜん=おもむろに)足跡を検しましたところ、断崖たる丘腹までありまして、その丘腹のわずかに凹んだ箇処に彼の海馬の死体を横たえ、その上に雑草を覆ってありましたので、奴の金剛力に感心しました、たいてい馬の体量70~80貫目(約260~300キロ)ありますが、この3間余の海馬はどんなに軽く見積りても200貫目(750キロ)内外はあるのです、それを熊が、しかも断崖を担って上ったというのは驚くべき力です》(『千島探検録』白瀬矗、漢数字を算用数字に修正)

 

 時代は飛んで、次は昭和初期、日本占領下の樺太南部での記録である。「保多」「札塔」は南樺太の地名である。

 

《保多の沢には、巨熊が出没するので、札塔に出て大泊に陸行する外は、沢の奥深くに進むことはなかった。

 

 伐木運搬に従事した挽き馬が病死したので、番屋の裏の山際に埋めたところ、いたどりや野性の蕗(ふき)が密生したところに、一夜で道路が出来、運び去られた。この馬は、ペルシュロン種で大型であった。だが、簡単に運んでいく熊の怪力に驚愕するばかりであった》(蔦井栄司『榛堂狂話』銀黒狐の飼育研究)

 

「ペルシュロン種」は、ばんえい競馬で活躍する大型の馬で、体高2メートル、体重1トンにもなるそうである。

 

 また海外でもヒグマの馬鹿力はしばしば話題にのぼる。

 

《熊の力と持久力には驚くべきものがある。たとえば、一頭のクマが非常に大きなウシをひきずってぬかるみの川岸を通って対岸に達したばかりでなく、そのうえ、けわしい山を二百メートル以上も登ったことがあった。しかも、ここはシラカバやエゾマツの若木が密生した場所であった》(V・N・シニトニコフ『大陸の野生動物』山岸宏訳)

 

 牛もまた、大きいもので1トン程度だから、自分の体重の2~3倍の獲物を、障害物をかき分けながら引きずっていったわけである。

 

 また、戦後に入ると、ヒグマは自動車をも持ち上げてしまう。

 

《北見のある山道で起こった話です。一台の自動車が山狭の温泉宿にお客を迎えに走っていました。ところが道路の真ん中に大きな熊が二匹の仔熊を連れて寝そべって足の裏を舐めながら頑張っているのでした。

 

 運転手がびっくりしてふるえながら狭い道路で自動車を回して逃げかえりました。この話を聞いた今一人の運転手が「よし、おれが行ってやろう」と云って自動車でそこへ行ってみますと熊はまだ頑張っています。がんと自動車にスピードをかけて熊に乗り上げたのです。

 

 ところが一度下敷きになった熊はもくもくと自動車を持ち上げ、遂に三間ほどある崖下にその自動車を投げ込んでしまいました。運転手は大怪我をし自動車も大破しました》(宮北繁『開拓秘録 北海道熊物語』自動車を持ち上げる)

 

 最後に明治中頃にあったという、すごい挿話を、十勝毎日新聞2代目社長、林克巳氏の名著『熊・クマ・羆』(昭和46年)より引用しよう。

 

 明治30年頃のこと。石狩郡厚田村のニシン漁場に、毎夜のごとく熊が出没し、ニシン粕を食い荒らすので、腹を立てた漁夫たちは、なんとかクマを捕えてやろうと「おとし」(穽=ワナ)をかけることにした。

 

《分厚い板をつなぎ合わせて頑丈な一枚の板を作り、下の餌にさわったら落ちる仕掛けをして、その上に叺(かます)詰めの塩三百俵を載せた。塩はニシン塩蔵の加工用で、一叺の重さ約四十キロ、総体でおよそ十二トンの重量が載った計算だ。

 

 夜も白々と明け初めたころである。漁師たち、恐る恐る近寄ってみると、クマ公、ドカッと背中にかかった重荷を、四本の足にうけとめてじーッと堪えている。

 

 塩三百俵、十二トンの重荷を背負ったクマは、さすがに身動きが出来ないのである。一歩動けば押し潰される。それを堪えて思案にくれている強力さ。漁師たちも顔を見合わせて驚いたという。

 

 手に手に棒きれをもってクマを突いた。白い牙をむきだして怒ったクマは “ウオーッ” と一声、うめき声を発してかすかに動いたトタン、十二トンの重量は、アッという間に巨熊を圧し潰してしまった》

 

 12トンと言ってもピンとこないが、大型ダンプカーの車体重量が11トンであるから、その重さがよくわかると思う。クマは、大型ダンプカーをしばらく持ち上げていたのである。

 

中山茂大
1969年、北海道生まれ。ノンフィクションライター。明治初期から戦中戦後まで70年あまりの地元紙を通読し、ヒグマ事件を抽出・データベース化。また市町村史、各地民話なども参照し、これらをもとに上梓した『神々の復讐 人喰いヒグマの北海道開拓史』(講談社)が話題に。

( SmartFLASH )

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