現在の将棋界は、恐ろしいほどに強くなったコンピュータ将棋ソフト(AI)の存在を抜きにしては語れない。
藤井はその天性の才能、実力はさることながら、AIを用いた研究でも最前線を走っている。一方、最近の羽生の復活は、そのAIに適応したからではないかという見方もある。脳科学者で、愛棋家の茂木健一郎氏はこう語る。
「藤井さんあたりは、もう人工知能ネイティブなんでしょう。羽生さんは10年ぐらい前にお話ししたときは、コンピュータ将棋ソフトがそれほど好きではない感じでした。
しかし先日お会いした際、人工知能を用いたデモンストレーションを小学生みたいな好奇心で、ご覧になっていたのがすごく印象的で、これから羽生さんは第2、第3の黄金期を迎えられるのではないかと感じました。
脳の老化は個人差がすごく大きくて、加齢にともなって、必ず脳の力が落ちていくわけではありません。むしろ人工知能をうまく使うことで、記憶、論理的な推理などはアンチエイジングできる可能性がある。その意味では、羽生さんは若返った可能性があるんじゃないでしょうか」
ただ、AIで研究できるのは、序盤から中盤にかけてまで。それだけでは将棋で勝てない。
羽生のようにベースとなる実力が卓越しているからこそ、今もタイトル挑戦の舞台に立てるのだ。羽生と同い年で小学生のころから互いをよく知る、先崎学九段が語る。
「羽生さんは最近、非常に好調です。藤井さんはAIを駆使して序中盤を有利に戦うのが得意ですが、羽生さんは、その土俵に乗らないために独自のやり方でAIを使ってくるのではないでしょうか。
広い将棋の手の変化のなかで、いかに自分の経験が生きる形にもっていけるか。互角の終盤になれば、羽生さんに勝つチャンスが生まれます」
長い将棋の歴史において、羽生と並ぶ実績を挙げた棋士といえば、故大山康晴十五世名人。羽生と同様、50歳を前にして無冠となるも、56歳で王将復位。その後3連覇を果たす。
また、羽生の師匠である故二上達也九段、そして故米長邦雄永世棋聖も、50歳までタイトルを保持した。羽生が復位しても、なんら不思議はない。
羽生は絶対不利と思われた状況から、「羽生マジック」と称される予測もつかない手を繰り出し、幾度も大逆転劇を演じてきた。SNS上でも藤井相手に「羽生マジック」を期待するファンの声は多く見られる。
羽生と実際に戦ってきた棋士たちのなかで、羽生への信頼はいまだ絶大だ。
「天下の羽生善治ならなんとかするんじゃないか。そのひと言に尽きます。それはおそらく私に限らず、我々同年代の棋士の率直な気持ちですし『そうあってもらいたい』という願望もあります。もし羽生さんが勝ったら人類史に残るぐらいの出来事だと思います」(森下九段)
「W杯の日本とドイツじゃないですけど、勝負というのはやはり下馬評不利のほうが勝ってこそおもしろい。羽生さんはボクシングのモハメド・アリみたいな、本物の伝説のチャンピオン。素晴らしい戦いを見せてほしいですし、ここで勝ったら、やっぱすげえなあと思います」(先崎九段)
若き王者・藤井にどのように挑むのか。羽生はいつものとおり、自然体で答えている。
「自分自身の棋力を充実させて臨むということに尽きると思います」
文・松本博文