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ビートきよし「女にモテるのとお客が笑うのって一緒」古きよき芸能界を回顧する/女子アナ日下千帆の「私にだけ聞かせて」

芸能・女子アナ 投稿日:2023.08.20 16:00FLASH編集部

ビートきよし「女にモテるのとお客が笑うのって一緒」古きよき芸能界を回顧する/女子アナ日下千帆の「私にだけ聞かせて」

日下アナ(左)とビートきよし

 

 ビートきよしさんが、横浜に完全紹介制のエンタメパブ『スター★場』をオープンしたと伺い、さっそく訪ねてみました。インターホンを押すと、きよしさんご本人が出迎えてくれました。

 

 山形県出身。子供の頃から芸事が好きだったきよしさんは、養成所に入るため、18歳で上京したのですが、ポルノ映画の出演依頼が続いたことで嫌になり、事務所をやめて浅草ロック座で働き始めました。しばらくして、師匠と一緒にフランス座に移り、そこで相方のビートたけしさんと運命の出会いを果たしました。

 

 

――『ツービート』というグループ名はどのようにして決まったのですか?

 

「2人で3時間考えたよ。相方がジャズ喫茶でバイトしていたので、ツービート、フォービートというリズムからヒントを得てね。しゃべりも速いから、ちょうどいいって話になって」

 

――売れるきっかけは何だったのですか?

 

「テレビ東京から声がかかって、公開収録している番組『爆笑パニック!体当たり60分』の現場に行ったら、いきなりリハーサルで、そのまま本番だったのよ。

 

 ヒデとロザンナがMCで、ゲストは、当時、売れっ子だった「コメディNo.1」とツービートの2組。コメディNo.1の出番が先だったんだけど、まったく受けてなくてほっとしたよ。なんだ、受けなくてもいいんだって(笑)。

 

 相方と『やるだけやって帰ろう』って話したんけど、やってみたら、これが大爆笑で、『来週からレギュラーでお願いします』って言われたんだよ」

 

――それで大手プロダクションに呼ばれたんですね?

 

「テレビのレギュラーが決まったら、太田プロからうちにこないかって誘われてね。そのあとしばらくして、片岡鶴太郎が入ってきて、綾小路きみまろとツービートで渋谷のパルコ劇場でよくライブをやってたんだよ。

 

 そのあと、バスガイドネタで受けた山田邦子が入ってきて、“太田プロの3羽ガラス” と言われて相当売れた。

 

 ネタは悪口ばっかり言ってるから、クレームもたくさん来たよ(笑)。舞台でしゃべってる途中で、怒ったおじさんが通路に出てきて怒鳴られたりね。でも、本当に受けた。あの形態は、僕らが最初だったから。刺激のないところに新鮮な刺激を与えたから、ストレス解消になったんじゃないの?」

 

――いちばん稼いでいた頃の様子を教えてください。

 

「最盛期は『THE MANZAI』や『オレたちひょうきん族』(ともにフジテレビ系)とか、レギュラー番組の収録が朝まで続いて、毎日、寝るのは3時間くらいだったよ。毎週、テレビの台本が一気に6冊くらい来てた。

 

 でも、給料制だったから、そんなにもらってないんだよ。月給で数百万円。事務所は儲かってたよ。最初、この事務所は大丈夫かっていうくらいボロボロの部屋だったのが、何度も引っ越して、グレードアップしていった。

 

 当時、人気だった『B&B』は歩合制だったから、『いくらもらっているの?』って聞いたら、月に1人7000万円だって。俺らだってそれ以上は稼いでいたのに、全部もっていかれたよ(笑)」

 

――テレビの仕事で嫌だったことはありますか?

 

「いっぱいある。テリー伊藤がディレクターだった頃、『ローマ行きましょう』って言われて、『何やるの?』って聞いたら、『向こう行ってから相談しましょう』って言われて。

 

 行ってみたら、ローマの街でパンツ一丁にさせられて、金髪の毛を体に張りつけてスペイン階段に立たされた。すぐに警察が来て、『5分以内に退去しないと逮捕する』って。それで、怒られてるところを動画に撮ってるんだから、もうめちゃくちゃよ。

 

 新宿のモード学園のデッサンの授業で、前バリ貼ってモデルやらされたりね。スキー場で赤いふんどし姿で滑ってきて、最後凍ってるプールに突っ込むとか。『それで心臓麻痺でも起こしたらどうするの?」って聞いたら、『いちばん高い保険に入ってるから大丈夫です』だって。

 

 嫌だったけど、やらないとディレクターがクビになるって言うから、仕方なくやったのよ。でも、昔のテレビは面白かったね。芸能人水泳大会なんて、必ずおっぱい出す人がいたりね。いまじゃ絶対できないね。規制だらけだから」

 

――たけしさんとのコンビはいつまで続いたのですか?

 

「まだ、解散してないよ。お互いにいろんな仕事をしてるから、もう解散してもいいんだろうけど、相方は優しいんだな。関西の芸人は小屋があって、月に10日は出なきゃいけないとか決まっているからコンビが続くんだけどね。関東は小屋がないし、寄席では生活できないから、ある程度したら別々に仕事するようになるんだよ」

 

――それで『スター★場』をオープンされたのですね。

 

「いままで何軒も店をやってるよ。『よしなさい』っていう名前の焼肉屋とか、ライブハウスにビアガーデンとか。でも儲からないし、店は大変だよ。お笑い芸人だと軽く見られて、からんでくるヘンな客もいるからね。

 

 ここではみんなに楽しく飲んでもらいたいから、会員の紹介でないと入れなくしたの。嫌な客が来たら、『帰れ、コノヤロー』なんて言っちゃうかもしれないし。

 

 俺、思ったことは何でも言っちゃうからさ。この前もツイッターで、『コオロギなんか食わねえ』ってツイートしたら、河野太郎にブロックされちゃった(笑)」

 

――なぜ横浜を選ばれたのですか?

 

「40年、横浜に住んでるから、いつもこのへんで遊んでるの。東京でレギュラーがない限りは問題ないよ。営業は地方が多いしね」

 

――きよしさんの若い頃の修業は大変だったのではないですか?

 

「昔はカネもコネもない奴が一発当ててやるって入って来るのがこの道だったからね。芸能界に入るなんて、ヤクザみたいに思われてた。でも売れたら、関係ない奴もみんな親戚とか言ってきたけど。

 

 とにかく最初は、師匠が座ったらタバコに火をつけて、トイレに行ったら、おしぼりもって待っている。朝は師匠の犬小屋の掃除をして、車で現場まで送る。夜は歌舞伎町まで送って、車のなかで店から出てくるまでずっと待ってる。3時間くらい、トイレにも行けない。

 

 12時くらいに家まで送って寝ようとしたら、客人を送っていけと、また呼ばれる。3時に寝て、朝7時にはまた犬小屋の掃除。これをやり通せたら芸能界でも生きていけると思ったね。

 

 芸は、師匠について見てマネる。いろんな人を見ながら自分の芸を作っていく。そして、寄席に出てお客様の前で修業しないと。テレビで相方と2人だけで向き合っているだけじゃつかめない。お客と三角関係にならないとダメ。

 

 今はスクール形式でまとめて教えてるから、味も個性もない。芸人は、遊ばないとだめよ。昔は女遊びしてこいって言われたよ。女にモテない奴は、何からもモテないってね。女をナンパできるのと、お客様が笑うのって一緒。その感覚はつながっているの。

 

 気が利かない奴は売れないね。それは感性がないってことだから。あと、どんなにかわいくても、きれいでも、根性のないのはダメ。文句言われてやめるやつはいるだけ無駄。ほかのことをやったほうがいいよ」

 

 きよしさんのお話が面白くて、つい長居してしまいました。ポコチャでライブ配信もされているそうなので、きよしさんから元気をもらいたい方は、ぜひどうぞ。

 

■強く生きるための3カ条

 

(1)食う!
(2)寝る!
(3)笑う!

日下千帆

1968年、東京都生まれ。1991年、テレビ朝日に入社。アナウンサーとして『ANNニュース』『OH!エルくらぶ』『邦子がタッチ』など報道からバラエティまで全ジャンルの番組を担当。1997年退社し、フリーアナウンサーのほか、企業・大学の研修講師として活躍。東京タクシーセンターで外国人旅客英語接遇研修を担当するほか、supercareer.jpで個人向け講座も

( SmartFLASH )

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