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羽生結弦、会見で語った「一番上にいたのは9歳の俺」…野球を捨ててフィギュアを選んだ小学生時代

スポーツ 投稿日:2022.02.14 23:05FLASH編集部

羽生結弦、会見で語った「一番上にいたのは9歳の俺」…野球を捨ててフィギュアを選んだ小学生時代

羽生結弦の演技(2月10日、写真・JMPA)

 

 2月14日、男子フィギュアスケート羽生結弦(27)が記者会見をおこなった。ソチ五輪(2014)と平昌五輪(2018)で金メダルを獲得し、94年ぶりの五輪3連覇の期待がかかっていた今大会。

 

 だが、10日におこなわれた男子シングル・フリーでは、クワッドアクセル(4回転半ジャンプ=4A)に挑戦するも転倒。クワッドアクセルは世界初認定となったが、総合4位に終わり、メダルを逃した。

 

 

 13日になって、羽生の記者会見が突如として決まった。メダルを逃した直後でもあり、“引退” に関する憶測が飛び交ったが、JOCは「メディア各社からの個別取材に対応するのが困難なため」とした。

 

 会見で羽生は、クワッドアクセルの失敗について説明。9日の公式練習で転倒した際に右足首を捻挫し、痛み止めを打ちながら、試合直前に出場を決めたという。

 

「4回転半を習得するにあたって、いろいろな技術を研究したけれど、自分自身のジャンプは、負けたくないというか、あのジャンプだからこそ、きれいだって言ってもらえるし、あのジャンプしかできないし。

 

 だから、絶対に思い切り跳んで、思い切り高いアクセルで、思い切り早く(腕を)締めて、を追究した。そのなかでは最高点にたどりつけたと思うし、納得している。満足した4回転半だった」

 

 クワッドアクセルへのこだわりについて聞かれると、「正直な話、今まで4回転半を跳びたいと目指していた理由は、僕の心の中にいる9歳の自分が『跳べ!』ってずっと言ってた」と明かす。

 

「ずっと『お前、下手くそだな』って言われながら練習していて。今回のアクセルは誉めてもらえたんですよね。一緒に跳んだというか。9歳のときと同じフォーム。ちょっと大きくなっただけで、一緒に跳んだ」

 

 続けて「ずっと壁を登りたいと思っていて。いろいろなきっかけを作ってもらって、登ってこられたんですけど、最後に壁の上で手を伸ばしていたのは9歳の俺自身。最後にそいつの手を取って一緒に登ったという感触があった」と表現した。

 

 なぜ、羽生は「9歳の自分」を強調したのか。スポーツジャーナリストが語る。

 

「4歳でスケートを始めた羽生選手は、9歳のとき、全日本ノービス(Bクラス、9歳以上11歳以下の部門)で初めて金メダルを獲得します。

 

 しかし、お父さんが野球部の顧問をしていたこともあり、当時の羽生選手の夢は野球選手になることでした。スケートの練習より友達と遊びたい年頃だった羽生選手は、『野球をやりたい』と両親に打ち明けました。

 

 すると両親は『覚悟がないならやめなさい』と厳しく言い放ったそうです。そのとき、羽生選手は『これで終わっていいのか』と、スケートにかける自分の思いに気づいたといいます。

 

 その後、10歳になると国際大会でも金メダルを獲得するなど、才能が一気に開花します。羽生選手は、9歳のときの決断を忘れることなく、ずっと努力してきたのです」

 

 ネット上には、羽生の会見を受けて、多くの反響が寄せられている。

 

《3Aで連続金メダルを取りに行くのではなく、果敢に4Aに挑戦した記録は残り続けます》

 

《羽生さんの素敵なストーリーがまた一つ、世界を駆け巡る事でしょう》

 

《過去の自分を裏切らないって大事ですね。自分を活かすのは自分しかいませんものね》

 

「男子決勝がおこなわれた後、北京五輪の公式サイトで『羽生結弦に捧げるトリビュート』と題された特別動画が公開されました。そのなかで、各国のフィギュアスケーターたちが、羽生選手を絶賛しています。

 

 フィギュアスケート男子シングルで金メダルを獲得したネーサン・チェン選手も『羽生結弦は正真正銘のフィギュアスケートのアイコンだ。オリンピックで勝ってなお、モチベーションを保ち続けていることが信じられない』と評価しています。

 

 また、平昌五輪銀メダリストのメドベージェワ選手は「彼はキングだ」と称えています。今大会はメダルを逃した羽生選手ですが、スケート界での存在感は計り知れないほど大きいのです」(前出・スポーツジャーナリスト)

 

 飽くなき探求心の裏側には、挑戦をあきらめなかった “もうひとりの自分” がいたのだ。

 

( SmartFLASH )

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